だが、こうしたタレント頼みの番組編成にはいい加減にうんざりする。たとえこの新番組の視聴率が10%台で安定してもそれは森高のおかげではないだろうし、視聴率が同時間帯最下位でも森高の責任ではないだろう。それでも、仮に1桁台連発で早々に打ち切りとなったとしたら、森高が叩かれる構図が目に見える。タレントの肩に期待をかけすぎることは、人柱にするに等しいのではないだろうか。そうして視聴率低迷のレッテルを貼られてタレントとしての価値がダウンすると、なかなか取り返せない。ただ、それくらい森高側もわかっているはずなので、新番組MCオファーを受けたのは彼女にとっても「復活」のための賭けなのかもしれない。
そもそも、「誰それが出演するから見たい」という動機でのリアルタイムのテレビ視聴が2015年現在、一般的と言えるだろうか。もちろん、滅多にテレビ出演をしないアーティストが出演するならば「せっかくだから見たい」と思うかもしれないし、熱意あるファンは録画するだろう。だが、「この人がMCだから毎週見たい」と視聴者は思っているだろうか?
ここ数年では、有吉弘行とマツコ・デラックスがMCとして各局引っ張りだこで、マツコにおいてはどの番組も高視聴率で推移しているという。しかしそれを単純に「マツコが出ているから視聴者が食いつくのだ」と結論づけることはできない。タレントありきの番組づくりにしてしまうと、キャスティング以外のスタッフは存在意義がなくなる。演出・構成・リサーチ・編集、さらに照明・音声・衣装・カメラなど多くの立場のスタッフがそれぞれの業務を遂行して番組がつくられるわけだが、タレントのネームバリューや好感度次第で視聴率が高低するならば、制作スタッフは何の仕事をするのか。これは当然、音楽番組やバラエティに限らずテレビドラマでも同様で、低視聴率に終わった作品の主演俳優が「数字を持ってない」と叩かれるのはおかしな話である。キャスティングがすべてではない。見たいものが放送されていないからチャンネルが合わないだけだろう。
(糊子海苔雄)
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