何も解決していない
まず、「裁判の結果がわからない」「店が閉店するかもしれない」という不穏な雰囲気が漂う中で、突如登場して主題歌を歌ったきゃりーぱみゅぱみゅとカップス(カップやコップを打楽器代わりに行うリズム・パフォーマンス)は、ドラマが、「誰かにとって都合良く作らねばならない」側面を持ち合わせていることの象徴かもしれません。
元恋人である新田結実と二人きりになったところで突如挿入される星野の「ヤギの話」は、「田舎者に悪い人はいない」という、あまりにも単純で間違った見解を可視化させる演出なのかもしれません。
レストランの最後の営業が終わったあとに集合してこれからのことを話し合うシーンは感動的ですが、黒字840円を住み込みの7人で分けるというレストラン経営は、和民やすき屋もびっくりの真っ黒なブラックです。
住み込み超低賃金のビストロ フーにしろ、レストラン閉店後の女子会のあとでたま子が見た夢にしろ、「みんなで仲良く仕事をして、一緒に暮らして行く」ということは、結局、飲食店経営と家事労働が分断できていないということでもあります。つまり、飲食店の労働が「料理」「掃除」「コミュニケーション(接客)」という、家事労働と捉えられ得るゆえにブラック化しやすいということを示しているのかもしれません。
ハッピーには描きようがない「スプーンのクレーム」や、「藤村さつきの裁判」は、第1話の「社会への問題提起・異議申し立て」のシーンが、「不愉快である」とクレームを入れられてしまうことと同様に、我々の持つ「異議申し立てをする」と権利が、保障されているように見えて実はあまり守られていない権利だということを表してもいるのかもしれません。そして、「スプーンに関して苦情を入れ続けた人」のような「ささやかな悪意」は、簡単に肥大化する上に、ささやかであるがゆえに大きな問題にならないので対処できないということも表しているかもしれません。
「ハッピーエンドこそが問題提起」と考えると、このドラマが描くことができなかったことがたくさん見えてきます。続編が作れないわけないくらいにたくさんです。「不気味なハッピーエンド」が提示する問題を扱った、『問題のあるレストラン』の第2ラウンドが、是非見てみたいです。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata
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