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下手なCMは数を打っても当たらない件

【この記事のキーワード】

CMは「大人の事情」の宝庫である

 私は広告映像業界の片隅に生息する人間として、CMがどのような工程で作られるのか、よく知る立場にある。

 広告主の訴求したいポイント、市場マーケティング、多くの視聴者の理解を促す情報伝達表現等、様々なニーズを効果的に結びつけることが「クリエイティブ」であり、プロの腕の見せ所である。

 CMには、企業側も、広告代理店も、映像制作会社以下クリエイターたちも、様々なセクションの人間が大勢集う。一つの映像の訴求ポイントを、あらゆる角度から検証し、企画の本筋を固めて行く。コンセプトが「筋の通らない逸脱した内容」であっても、その面白さを視聴者に伝えるための裏付けや理論はきちんと用意する。現場で作り上げる内容と視聴者の理解に齟齬が生まれるような事態はナンセンスであり、理解の距離感のさじ加減をコントロールするのがプロの仕事だ。

 とは言え、CMは「事情」の宝庫。視聴者に届く前に齟齬が生じてしまうことも往往にしてある。広告主の企業取締役のトップダウンによって、それまで積み上げて来た企画が二転三転することは、よくある話だ。莫大な制作費をかけて撮影した後に、タレント契約や商品販売の方向性の転換等によって、撮影した素材が使用できなくなり、CG・編集で何とかするとか、再撮影するとか、お蔵入りになるといったこともある。お金がもったいない!

 さておき。大人の事情を抱えるCMは、意図と着地が「ブレ」たせいか、どこかちぐはぐな印象を視聴者に与えるものだ。本件にもそうした事情があったのか――、と想像してみるのだが、どうも「ブレ」の種が異なる。あくまでも私の推測だが、おそらく、企画立ち上げから公開に至るまで、「ずっと同じテンションで、特に事情も意味もなく、一貫してブレている」。

 言い換えれば【百害あっても、一利も無い宣伝】としてのブレ筋のみが、きれいに一本通っているように私には見える。要するに、ものすごくスマートに「無駄」なのだ。制作・公開に躊躇がないようにも見えるので、制作者はこれが非難の対象となることを想定していなかったと邪推する。なぜ、制作中に、誰も止めなかったのか。現場に、軌道修正を促すその道のプロはいなかったのか。

 WEBベースで展開する低予算広告だからクオリティーが低い、という意見もあるが、予算も事情も問わず、被写体や商品や訴求ポイントに懸命に対峙するクリエイターはたくさんいる。多くの人・モノ・コトを映像によって結びつける「コミュニケーション能力の高さ」がクリエイティブの本分である。

 何より、WEBベースだからこそネットで意見も噴出するわけで、その点も考慮せずにWEBを活用するのは「素人芸」である。WEB CMへの軽視が一因にあるなら、なおさらだ。

 不思議なポイント満載の本件は、作る意味もない、見せる意味もない、ないない尽くしで目的が分からぬまま、今や幻として消えてしまった。ご冥福を祈る。

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林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。