
Photo by Miguel Pires da Rosa from Flickr
朝の電車のなかで、ふと隣の中年男性が読んでいるスポーツ紙に目をやると、扇情的なページが開かれていて、反射的に視線をそらしました。女性のセミヌード、といってもかぎりなくフルヌードに近い(乳首は出ているけどヘアは出ていない)ものがババンッと載っていたからなのですが、同時になんだか見覚えのある画像を目の端でキャッチしました。あれ、私の記事だ……。そうなんです、2年ほど前からそのスポーツ紙で週1度の連載をしているのですが、まさにそのページだったのです。
通勤電車の車内という公共の場で、人目につくのもお構いなしにポルノを見るのは立派なセクハラです。「エロは男の癒し! 何が悪い!!」と慣習的に黙認されてきましたが、そもそもあってはならないことです。法律では他人の羞恥心を刺激するものが〈わいせつ〉と見なされます。昨年からにわかにアート界隈でその〈わいせつ〉をめぐる議論が噴出していますが、こんな日常レベルでまったく関係のない他人の羞恥心を刺激する行為がまかり通っているほうを、まずどうにかしてほしい。そう感じる人は多いでしょう。
そんな、電車で出会ったポルノ・テロの一部に、私の記事も含まれていたわけです。スポーツ誌とはいえ、私に男性のエロ心をあおる役割は求められてないので、セックスライフをよりよくするためのグッズ紹介という、実用的な内容を淡々とお届けしています。でも、ああして紙面に載ると、つまりスポーツ紙のエロページというパッケージに入れ込まれると、立派なポルノ記事になるのですね。セックスも生活の一部、というスタンスで書いている自分の記事が思いのほかポルノ感満載で、たじろぎました。
羞恥心といえば、ひとつ思い出すことがあります。
以前、あるメディアの人と話していて、「今度、『恥ずかしくて書店で買えない本』っていう特集をしようと思ってるんですよ」といわれたことがあります。なぜそれを私に話すのか……最初はピンと来なかったのですが、拙著をそこに入れたいと考えられていたのでした。ああ、そうなんだ。私の本は、恥ずかしい思いをしないと買えない本なんだ、と初めて知りました。いろんな人の応援のもと世に出た1冊を、私は恥ずかしいと感じたことがなかったのです。恥ずかしいとしたら文章が拙いとか、顔は出していないまでも自分がわざわざ写真で登場する必要はなかったなとか、そういう点です。
セックス本より恥ずかしい本
私の本なりセックス指南本なり、性がテーマの本を買うのはそんなに恥ずかしいことなのか? と訊ねたところ、「レジの人に、性欲が強くて、なおかつそれが満たされていない女だと思われないか心配なんですよ」と教えていただきました。へー、なるほど。でも、店員さんはいちいちそういうことを思うほどヒマではないでしょうし、セックスライフをよりよくするための本を買う=ヤリたがっている女性という見方は上品とはいえません。それって、その人自身の価値観ですよね。彼女は、お友だちがセックス本を持っていたら、「この子、そんなにヤリたいんだ」という目で見るのでしょう。
こう思う人たちは案外多いらしく、毎年、雑誌『an・an』のセックス特集が発売されると、私はその反応を見るためにリアルタイム検索をするのですが、「恥ずかしくて買えない」という書き込みが続々と出てきます。表紙&グラビアで抜擢されているタレントさんのファンでも、なかなか勇気が出ずに買うのをためらっているようですね。私はSILK LABOのような女性向けAVはじめ、もっともっと女性もセクシャルなコンテンツを楽しんでほしい(もちろん電車のオジサンのようにおおっぴらにではなくプライベートな空間で)と思っていますが、「セックスへの関心が高いと思われること自体が恥ずかしい」という意識が根強いと、その道のりはまだまだ長いのだなと思わざるをえません。
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