性欲は本能だ、というフレーズは一般に広く深く浸透している。
男は女よりも性欲が強いとか、複数の女性としたいのは生物として真っ当なことだとかも。
男女の脳のつくりの違いや、ホルモン濃度の違いなどがその根拠として挙げられたりする。
男性はテストステロン(男性ホルモン)が多いとかそういう話を専門家でない一般人も語る。
性欲は個体差であると思うし場面や環境によっても変化するだろうし男女のホルモン差だと信じることが私にはできないのだけれど、同時に社会的・文化的に「性とはこういうものだ」と教えられて刷り込まれてきた面も無視できない、というかその側面が非常に強いのではないかと最近思うようになってきた。
男も女も、魅力的な相手を好きになり、性行為に及ぶといわれている。
だから魅力を磨きましょう、と様々な媒体で喧伝されている。
セックスは基本的には、双方の合意がなければ行えない。
だから男は、魅力的な女の合意を得るために努力をする。
女も、魅力的な男に「セックスしたい」とアプローチしてもらえるよう努力する。
そうして男女交際に発展し、セックスをする関係になり、やがて結婚し、子を成して幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。これが理想型だ。
あぶれると「ちょっとオカシイ人」。それは社会が決めること。
ノーマルとアブノーマルの線引きも社会が決めている。
ホテルの個室や家の寝室など、密室空間で2人きりで行う性行為は「ノーマル」。
見つかったら公然わいせつ罪に問われかねない屋外でのセックスや、何らかのコスチュームをまとったプレイや、糞尿の排泄を伴うプレイや、複数人でのプレイは「アブノーマル」。このあたりは法律で定められているものなので、「合意の上での乱交パーティーは違法じゃない!」なんて不合理な主張をするつもりはない。話が逸れたので元に戻す。
こうした異性愛の「規範」が存在するからこそ、女は男から求められると喜ぶ。ただしイケメンに限るかもしれないし、好意を抱いている男からに限るかもしれないけれど、まったく誰からも相手にされないよりは、多少カッコ悪い男からでも求められたいと思っている。
「男に求められる女=魅力的」というイメージが、それはそれは深々と、はっきり、この社会に、ここに生息する我々の中に根付いているからだ。
逆に、どんなに容姿端麗な女性であっても、仕事も趣味も充実していても、「男に求められない女」は、ダメらしい。虚勢を張っているだけで絶対に淋しがっているはずだ、ということにされてしまっている。
しかしすべての女が「男に欲望されること」を求めているかといえばそれも勿論NOだ。
講談社のマンガ週刊誌「モーニング・ツー」で連載中のマンガ『先生の白い嘘』(鳥飼茜)には、様々な女が出てくる。
「男に求められること」に価値があると信じて疑わない女、男に服従するしかない社会の仕組みを敏感に感じ取り失望している女、自らの身体に他人が値札をつける現状に異議を唱えて抗う女、魅力を武器に男をコントロールし服従させようとする女。
そして、「女は弱く、男は強い」という社会通念に混乱させられ、自身の持つ身体的暴力性に戸惑う男。
同僚から「アラサーに見える」と言われる美鈴先生は、24歳の高校教師である。その同僚教師は「食生活もちゃんとしてないと」「女のコは赤ちゃんだって欲しい時にできるか」とサラッとセクハラ発言を飛ばし、美鈴先生はしれっと受け流す。
祖母の遺した日本家屋にひとりで暮らしている、黒髪・眼鏡・シャツとパンツスタイルが定番の「地味な女性」として描かれる美鈴先生は、座布団を股に挟んでオナニーする。自分の女性器に指を入れるのは、なんだか怖くてできない。
学生時代からの”親友”である美奈子の彼氏で婚約者の男・早藤にレイプされ処女を奪われてから、そいつと関係を持ち続けてしまっている。美鈴先生は、断れない。求められることがうれしいわけではないし、快楽に耽りたいわけでもないのだが、ただひたすら怖くて断れないのだ。勇気をふりしぼって「もう呼び出さないで」と伝えても、「断ったら美鈴先生のエッチな画像をばらまくよ」とかリベンジポルノ脅迫を受けて、恐怖心が増すだけだ。
美鈴先生は恐怖に支配されている。しかし一方で、美奈子への優越感も覚えないわけではなかった。さらに、早藤との性交で快楽を得てもいる。「したくない」という本音がありながら、いくつもの感情が交錯し、美鈴先生はがんじがらめだ。
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