フットボールアワーの後藤輝基(40)は、自身のマネジャーが19歳のゆとり世代であると明かし、マネジャーの“ゆとりエピソード”を披露。このマネジャー、後藤を車に乗せ、自身も運転席に座ってから「後藤さん、この車アクセルついてます?」と尋ねてきたそうで、そんな質問をしてきたマネジャーに驚いたとのこと。同じ吉本興業に所属する雨上がり決死隊の宮迫博之(45)も「そんなやつばっかり」と共感し、マネジャーに「おい、これ」と中指と人差し指で「たばこを欲しい」というサインを送ったが、マネジャーが持ってきたのはペットボトルだったと明かした。こうして、ゆとり世代がとことん批判された放送回であった。
放送終了後、視聴者からは「現在11歳から27歳のみんながみんな非常識なわけじゃない」「どの世代でも非常識な人はいる」「宮迫のは単純にオジサンと若者のジェネレーションギャップでは?」との反論が続出。ごもっともな意見である。
ゆとり世代以外にも団塊世代、バブル世代など、生まれた時期や時代背景で人々を“○○世代”と括ることはよくある。時代の空気や時流によって影響を受ける部分はもちろんあるだろうが、それだけで人格形成されるわけでは無論なく、世代論で括ってしまうことのくだらなさと不毛を感じる放送であった。むしろ、同じ世代に生まれた人間が全員同じ性質を兼ね備えていたら恐ろしいことこの上ない。
今回はたまたまゆとり世代が「今時の若者は~」と苦言を呈されたが、もし「これだからバブル世代は~」と批判される回であったとしても、おそらくその世代に当てはまる人々が異議を唱えただろう。そうした括りによる世代批判がいかに短絡的で雑、なおかつ根拠のないものであるか、少し考えなくても誰でもわかりそうなものだが……。
(シュガー乙子)
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