「処女懐胎シミュレーター」
そんなSF映画のようなタイトルのプログラムが、このほど現実に公開された。“もし自分自身の卵子と自分自身の精子を受精させたらどんな子どもが生まれるか”ということを、遺伝子解析データから予測してくれるというのである。
女性から精子を、男性から卵子をつくることが、iPS細胞をはじめとした先端医療技術の発展により、技術的には可能になると予測されている(参考:Cell)。つまり、たとえば女性が自分自身の精子を受精し、男性との性交渉なしに妊娠・出産をする “処女懐胎”のようなことが可能になるというのだ。
技術的な可能性があるとはいえ、まだ現実のものとなっていない“処女懐胎”。そんな未来を体験できる「処女懐胎シミュレーター(原題:Virgin Birth Simulator)」は、どんな思いで作られたのか。マサチューセッツ工科大学を拠点に活動するアーティスト・長谷川愛さんにお話を伺った。(聞き手・構成/牧村朝子)
クローンではない
―― どういうきっかけで「処女懐胎シミュレーター」を開発されたのですか?
長谷川 人との出会いが大きいですね。ロンドンに住んでいた時、知人の独身女性がこんなことを言っていたんです。「年齢を考えると、私もそろそろ子どもが欲しい。元カレの精子をもらって子どもを産んで、一人でやっていくわ」って。それでその人は、自分の元カレに「ちょっと精子ちょうだい」って声をかけて、シングルマザーでやっていくことを前提に子どもを産んだんです。
それから去年の今頃、すごく面白い男の人に会いまして。その人はね、「自分を産みたい」っていうんですよ。
――「自分を産みたい」!?
長谷川 はい。なんか、「死にたくない」みたいな。「僕は自分で自分を産み育てたい。もう、胎教から完璧にやりたい!」っていうんです。
――それで長谷川さんは、実際に“自分で自分の子を産んだらどうなるか”というシミュレーターをおつくりになったんですね。
長谷川 そうですね。そういう人たちとの出会いに加え、学会で「将来的には自分と自分の子どもをつくれるようになる」という科学者の発言を聞いたということもありました。それで「男も女も、自分で自分の子どもが欲しいっていう人はいるんじゃないのかな」と思った、というのが作品づくりのきっかけでしたね。
――つまりクローンということでしょうか?
長谷川 違います。まぁ、さっきの「死にたくないから自分を産みたい」っていう彼はクローンが欲しかったんでしょうけれど。でも現実的には、人間のクローンというのはなかなか倫理的に認められないだろうと考えられるんですね。
ただ、iPS細胞をはじめとした多能性幹細胞の研究が進むと、例えば女性が自分の精子をつくって自分の卵子と受精させるというようなことが技術的には可能になると予測されています。その場合は自分に似た子が生まれるわけですが、自分とは異なる存在ですから、クローンとは違います。これが「処女懐胎シミュレーター」で扱っていることです。
――子どもに先天的な異常が出るようなことはないのでしょうか?
長谷川 それをシミュレーターで予測するんです。将来的には、親となる人の遺伝子解析データをもとに、どんな子どもが生まれるのかということを受精前から予測できるようになるんですよ。
ただこの技術はまだ発展途上で、ようやく第一歩を踏み出したというところです。それから、遺伝だけが人間のすべてを決めるわけではないということも忘れてはいけません。遺伝子解析からシミュレーションできるのは、あくまで一部の体質や病気に関する可能性です。たとえば「くせ毛の可能性が高い」とか「○○病のリスクが高い」というように。
――実際、「処女懐胎シミュレーター」への反響はいかがでしたか?
長谷川 「えっ、もう男がいらなくなるの!?」とはよく言われます(笑)。「いや、そんなことないですよ。男の人も(“処女懐胎”を)やりたければできますよ」ってお答えするんですけどね。その場合(男性が自分の卵子と精子から子どもをつくる場合)、代理母は必要になりますが。
――代理母出産は、現状、日本国内ではできませんよね。
長谷川 まぁ、日本人でも、代理母出産のためにインドやタイに渡る人はいますよね。それからアメリカでは、有名大学に「卵子提供者募集」みたいな張り紙が出ていたりとか。
――卵子募集の張り紙ですか!?
長谷川 はい、こう、下に切れ目が入れてあって、連絡先を「ペリッ」って切り取って持ち帰れるようになってて。
――もう、そんなことが現実になっているんですね。2015年初頭には、すでにヒトの皮膚細胞から卵子や精子のもとを作ることに成功していますよね(出典:2CHOPO)。
長谷川 そうですね。ですから技術的に可能になる時はそれほど遠くないでしょうけれど、技術の一般的な使用が承認されるのはなかなか先になるはずです。
思考停止ではなく、ちゃんと何故それがダメなのか議論して欲しいですね。その上で倫理的に受け入れられない! というのならば良いのですが。
そこで、「なんでそれがダメなの?」と考える人の頭をマッサージして、考え方の新陳代謝を促していきたいなぁという気持ちが、この「処女懐胎シミュレーター」プロジェクトには込められています。
――面白い表現をなさいますね!
長谷川 (笑)。でも、人の考え方ってそういうものだと思いませんか? 凝り固まっている頭っていうのは、刺激して、ちょっと揉んでみて……いろんな人のいろんな考え方に触れることで、いろんな方向に揉んでみることでほぐれると私は思っているんですよ。
――なるほど。今日は興味深いお話を、どうもありがとうございました。
処女懐胎シミュレーターはインターネット上で公開されており、アメリカの民間遺伝子解析サービス「23andMe」のゲノムデータをアップロードすることで、誰でも自分の子どもをシミュレーションすることができるようになっている(いずれも英語版のみ公開)。
実際に試してみると、生まれる子どもの体質について、以下の三項目に分けてまとめられていた。
・良いこと(例:「体臭が少ない」「寿命が長い」)
・悪いこと(例:「○○病のリスクが高い」「○○の薬が効かない」)
・どちらでもないこと(例:「色黒」「まっすぐな髪」「パクチーは石けんのような味だと感じる確率が先天的に高い」など)
現代日本では、日本産婦人科学会のガイドラインにより、法律的に結婚している男女にしか人工授精が認められない。そのため、異性と結婚せずに妊娠・出産することを望む場合、女性は一般男性からの個人的な精子提供に頼ってきた。後者には感染症のリスクや、精子提供をした男性が後から親権を主張してくる可能性も指摘されてきた(参考:NHKクローズアップ現代)。
また独身者の子育てに対する偏見も根強く、制度上の婚外子差別も問い直されつつはあるものの未だ残っている。そうした中で、今後、社会はどのように新陳代謝していくのだろうか? 「処女懐胎シミュレーター」のようなメディアアート作品を通して、私たちが実際に自分の卵子と精子から生まれた子どもと“会ってみる”ことも、長谷川さんの言葉を借りればよいマッサージになるのかもしれない。
▼長谷川愛さん公式サイト
http://aihasegawa.info/
▼処女懐胎シミュレーター(原題Virgin Birth Simulator)
http://aihasegawa.info/?works=virgin-birth-simulator
長谷川愛(はせがわ・あい)
アーティスト。英国王立芸術学院デザイン・インタラクションズ修士課程修了。高校在学時より美術コンクールへの入賞を重ね、現在は米国マサチューセッツ工科大学メディア研究室を拠点に活動。“未来を拓く”をコンセプトに、現代社会が抱える課題をアートとデザインの視点から捉えなおす作品を手掛ける。
公式サイト : http://aihasegawa.info/ twitter : https://twitter.com/Ai__Hasegawa