2013年6月17日に創立されたmessyが2周年! スターターメンバーとして本コラム『ナガコナーバス人間考察』の連載を開始してから本稿で更新100回目! このダブルアニバーサリーに伴い、本連載を終了することをご報告申し上げます。
これまでご愛読いただいたみなさま、ものすごい勢いでディスってくださったみなさま、「長くて読めない」と苦情をお寄せくださったみなさま、「しょうがないからプリントアウトして読んでいるよ」と言われて印刷費代わりにビールを奢った友人知人、一度でもお目通しいただいたすべてのみなさまに感謝します。この場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
最終稿では、2年間の思いを改めて振り返ってみたいと思います。
【私】という主語
2年前、映像専門ライターである私が、「映像文化のような局所対象ではなく、もっと幅の広いコラムを書きたい。しかも、『私はこう思う』とはっきり自分事を明記するスタイルで」と言い出した際、立ち上げ直前のmessyに快く迎え入れてくださったのが編集長 下戸山うさ子氏だった。
どこの馬の骨かも分からない私に機会を与えてくださる以上、大いにはりきり「休まず、毎週必ず原稿をあげる」と決め、お盆とお正月と盲腸で入院した時以外は、ほとんど連載を休まなかった。
1年365日。2年間で730日。普通に計算すると休まず104回。計算がいまいち合わないのは、書きたいことを全部書いているうちに20000字くらいになり、3日に分けて連日更新する回があったりしたせいだ。その際、「ナガコさん、休みましょう! っていうかお願いだから1週休んでください」と編集長に懇願されたことが大変懐かしく思い出される。
さて。本コラムのテーマは、【私】という主語をはっきりと明記し、筆者個人の言責と主体性を強調することだった。世の中には【みんな】や【女性】を主語とする文章が溢れている。内容は主観であっても、【個人】の持論を「女って、こういう生き物」と括ったり、「みなさんもそう思いますよね?」と女性の好きな共感性を提供したりと、【集合】サイドに集約する言説が多いように感じる。
巷では全体主義や集合の和を重んじる思想が根強く存在し、【個人】が同調圧力に苦しむ話もよく聞く。もとより自己を主張する人間が少ないと言われる日本において、女性の主体性をテーマに書く優秀な人材はたくさんいても、筆者自身の人生観や背景など、己の主体性を語る人は多くはない。
また、【私】という主語を推して語ると、「自意識過剰」やら「自己語り、うざい」やら「承認欲求強すぎ」やらと、何かと悪口を叩かれる傾向にある。それもまた全体大好きな日本人による同調圧力の一種か、【個】アレルギーのようなものに思える。
自分ごとき、自分で語らずに、誰が自分を社会に現すのか。
無論、和を重んじなければならないTPOはいくらでもある。その際は粛々と【集合】の活動を行えばいいだけの話で、特に重んじる必要のないところで【個】を軽んじる必要は、もちろんない。