連載

元少年A著『絶歌』発売によって可視化された「凡庸な悪」たち

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 「凡庸な悪」とは、ドイツ生まれのユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが、雑誌『ニューヨーカー』の依頼で、ナチス親衛隊としてユダヤ人を強制収容所に移送する責任者だったというホロコースト加害者、アドルフ・アイヒマンのレポートを執筆した時に表現した言葉です。

 ハンナは、傍聴席から見たアイヒマンは「普通の人」で、彼が残酷な犯罪者になったのは、ただ思考不能だったからである。とし、凡人の小心さや思考停止性による「凡庸な悪」こそが本当の悪であると述べました。

 私は『絶歌』を買って読みました。正直、この本を書いた元少年Aが本物であっても偽物であっても、「異常な殺人者が書いた手記」と、それが世間にもたらすものに、とても興味が沸いたからです。

 元少年Aが執筆したという『絶歌』からは、被害者と被害者遺族への反省や悔恨よりも、彼自身が文体や表現形式に執着する様がありありと見えてきます。

 事件当時を振り返った第一部では、過剰でしゃちほこばった比喩表現や、三島由紀夫や村上春樹などの文学作品の引用が目立つナルシスティックな文体によって、厨二病ライトノベル的な体裁が整えられており、彼が「酒鬼薔薇聖斗事件」という表現形式にこだわっているところが伺えます。まるで自らの異常性を芸術性によって立証・正当化させようと試みているようです。

“アメリカの連続殺人鬼ゾディアックの声明文を真似てメッセージを書いた。筆跡を隠しつつ、何か特徴を持たせようと、文字の形をわざと角張らせた。この文体が思いのほか功を奏し、「赤く角張った文字」は僕の事件を象徴するビジュアルのひとつとなった。”(p94)

“「酒鬼薔薇聖斗」という名前は、猫殺しに明け暮れた小六の頃にせっせと描いた自作の漫画に登場するキャラクターからとったものだった。(中略)挑戦状にペンネームを使おうと思った時、「翡翠魔弧」にしようか「酒鬼薔薇聖斗」にしようか迷った。それぞれのキャラクターが登場する漫画のストーリーと、これから自分が取る行動を照らし合わせ、「酒鬼薔薇聖斗」のほうが相応しいと判断し、そちらに決定した。もしここで「翡翠魔弧」を選んでいれば、神戸連続児童殺傷事件は別名「翡翠魔弧事件」になっていた。”(p94〜96)

 これらの抜粋部分からも、彼が形式と表現に並々ならぬこだわりと自信を持っていた(持っている)ことがわかります。

 少年院退院後を書いた第二部は、第一部とはうってかわり淡々と描かれていますが、冷静に自己を分析していく言葉は、どこか自分自身で「週刊マーダーケースブック」(ディアゴスティーニ)をしたためているような印象も受けます。

 ですが、元少年Aが、良くしてくれる仕事の先輩の新築の家に招かれ、先輩の幼い子供を含む家族と食事を共にした時に感じたであろうこと。弟のようにかわいがっていた後輩に一緒に写真に写ることを求められ、咄嗟に彼のカメラを壊してしまった時に感じたであろうこと。“自分は人間の皮を被って社会に紛れ込んだ人殺しのケダモノだ。いくら表面的に普通に暮らしても、他の人たちと同じ場所では生きられない”(p277)という思いだけは、彼が抱えている生き辛さの根幹部分であり、誰しもが抱き得る、凡庸だが堪え難い孤独に他ならないと思うのです。

 元少年Aは、残虐なトリックスターでも殺人のカリスマでもなく、凡庸だが堪え難い孤独を抱えた一人の人間だったのです。

 もちろん、凡庸だが堪え難い孤独によって彼が犯した罪が正当化されることはありません。そうではなく、凡庸だが堪え難い孤独に向き合うことや、凡庸だが堪え難い孤独を理解しようとすることは、凡庸だが堪え難い孤独を抱える当事者にとっても、第三者にとっても、思考停止に陥らないために必要なことであるように思うのです。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」