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不条理悪夢にもミソジニー映画にもなり損なった、園子温版『リアル鬼ごっこ』

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柴田英里

(C)柴田英里

「全国のJK(=女子高生)の皆さん、あなたたちはちょっとふてぶてしいので少し数を減らすことにします」

 この予告コピー(ちなみに本編にはこの台詞、一切出てきません)が女性軽視や女子高生差別であるとの批難が出たり、「原作は読んでいない」という監督の発言が波紋を呼んだ、園子温監督の新作映画『リアル鬼ごっこ』を観てきました。

 結論から言えば、園版『リアル鬼ごっこ』は、女性軽視でも女子高生差別でもなく、ジャンルで言えば不条理悪夢映画でした。しかし「女子高生」という記号(現実に実在する現役女子高生とは別物の、あくまでも“記号”)を、意図的に炸裂させていることは否めません。今回はそのことについて、書いていきたいと思います。

JKのパンツがダサい

 この映画で大量に死んでいく「女子高生」は、基本的には、原作に基づく映画『リアル鬼ごっこ』の世界で鬼に狙われた「佐藤さん」や「B型」同様に、不条理な理由で選ばれた集団でした。「基本的には」とことわりを入れた理由には、不条理悪夢の内容が、いささか「女子高生」というイメージに左右されすぎているように思ったからです。

 そもそも、「女子高生」は、「佐藤さん」や「B型」よりも、具体的なイメージが多くつきまとう記号です。さらに、「女子高生」という記号が持つイメージは、実際の女子高生とは異なったものも多いです。中でも、実際の女子高生よりエロい存在としてのイメージが前傾しているように思います。

 予告編で出てくる「JK」という単語は、もともとは援助交際や売春に使われる隠語でしたし、作中幾度も露骨かつ露悪的に描写される女子高生のパンチラも、「女子高生=性的な存在」という記号の強調になります。

 ですが、この映画では、「女子高生=性的な存在」という記号の強調によって、かえって「女子高生」という記号の凡庸さが際立っているように思います。

 この映画の中で「パンチラ」描写は、女子高生たちを真っ二つに切断する謎の強風によってスカートがめくれるシーンに挿入されます。つまり、パンチラした女子高生はその直後に真っ二つになってしまうのです。

 「殺人(グロ)」と「お色気(エロ)」は、B級ホラー映画を構成する重要な要素ですが、女子高生たちの切断とパンチラを引き起こす謎の強風は、単に「殺人とパンチラ」を生産するだけで、エロもグロも産んでいないように見えます。

 謎の強風に散っていく女子高生たちの描写を、『「グロ(殺人)」と「エロ(お色気)」によって引き裂かれる女性身体』とフェミニズム的観点から紋切り型の批判をするのは簡単ですが、ここまでもったいぶることもなくあからさまに表現されている「パンチラ(エロとグロ)」に、そうした欲望を読み取ることは不適切でしょう。男性優位社会において、引き裂かれる女性身体の価値は、もったいつけられ焦らされるほどに上昇するからです。

 この映画で殺されていく女子高生たちのチラっと見えるパンツは、軒並みダサい柄です。JKとして記号づけられているような、傲慢で・自信過剰で・若さゆえの輝きを放つ若い女の子は、絶対に履かないであろうパンツなのです。おまけに、オタク的なフェティシズムを生成するような(例えば、縞パン)形態でもありません。このダサさが、同作がエロでもグロでもない最大の要因ではないかと私は解釈しました。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」