恋人さえいれば…
バケモノの世界で暮らす人間は、九太だけではありません。バケモノ界の強者ツートップは熊と猪なのですが、猪には2人の息子がいます。次男は猪ですが、長男の一郎彦は、赤ん坊の頃に捨てられ、猪に拾われて育てられた人間です。この一郎彦が物語のクライマックスとなる大事件を起こすのですが、ここから先はネタバレとなりますので、知りたくない方はご遠慮ください。
バケモノ界に生きる人間・九太と一郎彦も、人間界で暮らす楓も、それぞれ「親子関係」に悩みを抱き、心に闇を抱えます。
九太は人間の親(実父が存命です)とバケモノの親(熊)の間で板挟みになります。一郎彦は、バケモノのような成長(性徴)が表れない自分に不安と負い目を抱き、顔を隠すようになります。楓は親からの期待に必死で答え続け自らを抑圧してきたことのむなしさと、期待に答えられなかったら見捨てられるかもしれないという不安を抱いています。
バケモノ界の頂点を決めるバトルが大騒動に発展し、九太と一郎彦は心の闇が暴走しそうになりますが、九太は楓のおかげで心の闇を暴走させずコントロールすることができるようになりました。心の闇を暴走させた一郎彦は、半透明の大きな鯨になり、人間界を混乱に陥れます。物語にも出てくるメルヴィルの『白鯨』では、巨大な白いマッコウクジラ「モビィ・ディック」が片足を失った捕鯨船の船長エイハブにとって復讐するべき悪の象徴となりますが、半透明の大きな鯨になった一郎彦も、まるで悪の象徴であるかのように無差別な破壊を続けます。
心の闇を暴走させた一郎彦とさせなかった九太の一番大きな違いは、献身的に支えてくれる恋人がいたか否かでした。親子関係がつらいときに献身的に支えてくれる恋人がいなかったゆえに無差別に街を破壊する一郎彦と、「恋人がいればこんなことはしなかった」と後に語る、秋葉原の街にレンタルトラックでつっこみ無差別殺人を犯した加藤智大の心理はどこかにているように思います。
細田作品の主人公の男性たちは、どこか、「つらくても恋人さえいればがんばれる!」と無邪気に思っているのではないでしょうか。細田作品は、「恋人さえいれば世界はなんとかなる」という無邪気な信頼によって成立していると思うのです。
そうであった場合、「恋人さえいれば世界はなんとかなる」という無邪気な世界を成立させるために捧げられる供物は、「男のために存在する以外のアイデンティティがない女性」と「恋人がいないから無差別破壊をする男性(=悪)」に他なりません。
『サマーウォーズ』で人々を混乱に陥れた人工知能「ラブマシーン」を開発したのは陣内家の妾の子である陣内侘助であり、『バケモノの子』で心の闇を暴走させ街を無差別に破壊したのは父の息子である自信を失っている一郎彦でした。
細田作品に、「映像は奇麗なんだけど……」という違和感を感じる人が少なくないのは、この、とんでもなく大きく保守的なヘテロモノガミーとリア充感を、女性の無条件無尽蔵な献身と、物語の中で家父長になれない男の暴走によって描いているからではないでしょうか。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata