20世紀モダニズム文学の主要作家と言われているヴァージニア・ウルフの名批評『自分だけの部屋』(みすず書房)を読みました。
『自分だけの部屋』は、ウルフが作家として円熟し、名声が確立されようとした1928年に行われた2つの講演を元に書かれた批評です。この本の中でウルフは、「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」と、女性の経済的自立と精神的独立の必要性を主張します。
今から100年近く前に書かれた本ですが、この本に書かれていることは、まったく色あせていません。歴史、文化、食事の内容、様々な観点とあふれる想像力、そしてウィットに富んだギャグによって、ウルフは女性が受けてきた差別と、虐げられてきた人々が持つ才能と可能性を明らかにしていきます。
お金がなければ文化は遺せない
中でも、食事にまつわる文化と政治性については、繰り返し繰り返し述べられています。
ウルフは、大学の男子学生寮の豪華な午餐(クリームが後からふわりとかけられた舌平目、様々なソースと付け合わせの野菜で食べる山鶉、表面に砂糖がふんだんにかかったプディング、赤・白ワイン)を、「背骨の下半分、つまり、魂の宿るあたりが明るくなる」素晴らしいものと評し、反対に、大学の女子学生寮の質素な晩餐(想像力をかきたてるようなものが何もない透明なスープ、牛肉と青野菜とじゃがいもの素朴な料理、煮た干しプラムにカスタードのかかったもの、チーズとぱさついたビスケット、水)を、「おそらく天国にはいけるが、背骨のランプは灯らない」貧しいものと評します。イメージ的には、1万円のレストランランチコースと2500円のケチな居酒屋コースくらいの違いでしょうか?
“いったい母親たちは、私たちに遺してくれる財産もないなんて、何をしていたのでしょう?(中略)もしシートン夫人やそのお母さんやそのまたお母さんが、財産を作るという偉大な技を習得していたなら、そして、彼女たちのお父さんやお祖父さんさんたちのように、自分たち同性が使えるような特別研究員奨学金や講座や賞や奨学金を創設するよう彼女たちのお金を遺してくれていさえしたら、私たちはここでかなり結構な晩餐をとれたかもしれません。”
ウルフはこうした状況を、上記のように想像し嘆きます。そして、女性には教育の機会も参政権もなく、財産所有・相続権もなかったからできなかったと述べ、ヴィクトリア朝が女性に贈った美名「家庭の天使」が、男性に奉仕するために家父長制の一翼を担うとともに、思考する女性たちの足かせになってきた事実を暴いていきます。
これに対して、「確かに様々な権利がないことは問題であるが、そこまで豪華な食事をしなくても勉強はできるだろう」とツッコミを入れたくなる方もいるでしょう。ですが、ウルフはこの本の中で、「本」を「考えるための食べ物」、「知識や冒険、芸術」を「奇妙な食べ物」と表現しています。つまり、豊かな食事が豊かな知識や芸術から生まれ、豊かな知識や芸術を育てるにはお金がかかるということを指摘しているのです。
冒頭で紹介したウルフの「女性が小説家なり詩なりを書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」という主張は、しばしば「あまりに即物的である」「ブルジョワジー的である」などと非難されます。しかし彼女が資産の重要性を説くことには、「お金ほど、文化的な遺伝子(ミーム)を残し、豊かに育てることにおいて確かなものはない、つまり、お金がなければ文化は遺せない」という意味があるのです。
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