500ポンド=約1200万円
ちなみに、ゲスの勘ぐりから当時の「500ポンド」は現代の日本円でいくらになるのか調べてみました。
20世紀初頭から半ばまでは貨幣価値の変動が激しいのですが、第一次世界大戦後しばらくは安定しました。当時の1ポンドを現代の円に直すと、「1ポンド約24,000円」となります。計算すると、『自分だけの部屋』が書かれた当時の「500ポンド」は現代の日本円にして「1,200,000円」、つまり、年収約1200万円。現在の日本人女性の平均年収286万円からは遠いですね。
ウルフ自身はこの「年に500ポンドの収入」を、叔母の遺産という不労所得によって得ています。ウルフほど売れっ子の作家でも、この遺産が入るまでは、「新聞社に頼み込んで半端仕事をもらい、ロバの品評会の記事を書いたかと思うと結婚式の記事を書いたりして、生計を立てていました」と書いているので、当時は、「女性」という理由で原稿料が安かったのかなあ……と更なる邪推を重ねてしまいます(昔は少女漫画家の原稿料だって、少年漫画家の原稿料より格段に安かったのですから)。
「ただ働き」が気に入らないヒロイン
さて、レズビアニズムやシスターフッドの精神によって、女性の経済的自立と精神的独立の必要性を説いたヴァージニア・ウルフですが、彼女の主張は、漫画版『美少女戦士セーラームーン』(講談社)のセーラーヴィーナスの主張と良く似ているなあと思いました。
『美少女戦士セーラームーン』は、実は原作漫画とアニメではかなり違います。
話数も多いアニメ版の方が、戦士たちのシスターフッド的な関係性や、セーラームーンが母性や女性性によって敵を“浄化”するというケア・キュアの姿勢は強調されています。
対照的に武内直子の漫画版では、セーラームーンの母性や女性性は、ケア・キュアの姿勢よりも、女権的・ファリックマザー的に描かれています。ですが、本来武内が“主役”として描きたかったというセーラーヴィーナスは、妻になり母になり女王になり愛の力で戦うセーラームーンと対照的に、女性の経済的自立と精神的独立の必要性を主張します。
セーラーヴィーナスこと愛野美奈子が主役の漫画『コードネームはセーラーV』(講談社)では、「泣き虫」であるセーラームーンと逆の、「泣いたことなんてない」くらい図太くて強い人物として描かれています。そして、少女向け変身ヒロイン・戦闘美少女には珍しく、「ただ働きっていうのも気に入らないしぃ」などと、世界平和のためと言えども無償労働に反対する姿勢は崩さず、最終回のラストは、「セーラー戦士を見つけるにも資金が必要だから警視庁でバイトをしよう」という決意で終わります。
少女向け変身ヒロインが初志貫徹してお金に執着するのは極めて稀です。
また、美奈子は愛の女神「ヴィーナス」にちなんでか、初期は「惚れっぽい」性格として描写されています。しかし『コードネームはセーラーV』や『美少女戦士セーラームーン』の物語を通して、「恋より使命(仕事)」「セーラー戦士のリーダーとして仲間と戦い続けること」に価値を見いだすようになり、さらに漫画版『美少女戦士セーラームーン』の終盤においては、セーラーマーズである火野レイとともに、「あたしたち 男なんかおよびじゃないのよ わるい?」というレズビアン宣言ともとれる発言までします。
神話では男性神との恋愛エピソードに事欠かない、「♀・♂」の♀という記号由来でもある「ヴィーナス」を由来とする戦士なのに、異性より同性、恋人よりも友人、無償の献身よりも有償労働を求める漫画版のセーラーヴィーナス。愛野美奈子の経済的自立と精神的独立に重きを置く精神と主張は、「母性によるケアとキュア」のお話になりがちな「戦う女の子たちの物語」の中で、「母性」とは別の仕方で、子孫ではなくミーム(文化遺伝子)を遺していくものの姿勢として、武内直子が読者に伝えたかったことなのかもしれません。
ヴァージニア・ウルフやセーラーヴィーナス(作者の武内直子含め)が伝えるミーム(文化遺伝子)は、清貧の姿勢では守れないと、男女の賃金格差是正の必要性を改めて感じました。
■ 柴田英里(しばた・えり)/ 現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。Twitterアカウント@erishibata
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