傷跡いろいろ
そんな中、音楽業界の友人のツテで、私は海外のとあるバンドのメンバー、私が「神」と崇めてやまない人物とお話し出来る機会に恵まれました。私の英語はまだ拙かったのですが、彼と対面してその目を見ながら会話が出来る、それはもう、私的には一生に一度あるかないかの超大事件、人生における一大イベントです。
前夜、私は大いに懊悩しました。その人物が、自傷行為について、
「ああいうことをする人は、自分が生きてることを確認したくて自分を傷付けるんじゃないかな」
とインタビューで発言したのを知っていたからです。私は別に、そういう意図で自傷していた訳ではありません。
季節は真夏、長袖は不自然な季節です。
左腕の傷跡を、どうするか。
何しろ相手は私的に「神」ですから、ありのままを見て欲しいという気持ちがあり、しかし同時に、やはり誤解されたくないという思いもありました。
結局私は、アームカバーをして彼に会いに行きました。もう、前夜に一生分の緊張をし終えたと思いましたね。何しろ彼は「神」ですから。
感動の対面を果たし、しばらく話した後、彼が、
「それ、どうしたの?」
と、私の左腕を指さしました。
あー、やっぱ来たかー、と内心思いました。
私は平静を装い、あらかじめ辞書で調べておいた言葉を使って、
「腱鞘炎なんだ。ピアノ、弾き過ぎちゃって」
と答えました。
嗚呼、「神」に嘘をついてしまった。
でも、変に誤解されるよりはマシだったかもしれません。
このように、傷跡をどうするか、見せるか隠すかは、当時、そして自傷をやめた今でも時折、悩みの種になります。
傷跡は、人に見られて誤解されたり、心ない言葉を受けるのが恐いものです。見せることを目的に切る人もいますし全日制高校にいた頃の私も若干そのけがありましたが、この頃はもう違いました。
ある日、英語学校で仲良くなった主婦の方とお茶しました。全日制の学校を辞めたことや、メンタルの問題も話していたので、彼女と会う時は傷を隠していませんでした。
喫茶店で話し込んでいると、ふと彼女が悪意なく、
「あ、何か文字がある」
と私の手を取りました。
私は英単語やフレーズなどを彫ることが多かったのですが、彼女はたまたま目立っていた箇所を指さして言いました。
「これ、Mだね。あ、分かった! 好きな人のイニシャルでしょ?」
これには非常に戸惑ったのを覚えています。
彼女が指摘した部分は、まあ確かにMに見えないこともなかったのですが、私には単語を書いたつもりはなく、まして誰か特定の人物を示す意図もありませんでした。
私にとって自傷行為はとても個人的な、自分ひとりで完結するものでしたから、そこに誰か他者を巻き込むことは考えられませんでした。しかし、こういう風に映ることもあるのか、と思うと、ますます誤解が恐くなりました。
冷静に考えれば、先述した「伝染」の例はこれに相反していますね。私自身は自己完結している=切って終わり、というつもりなのに、それが誰かの「トリガー(きっかけ)」になってしまう。しかし、「誰かの気をひくために自傷する」人、自傷行為が周囲を巻き込むタイプの方もいます。
私のように「傷跡を見られるのが恐い」人もいれば、「見せるために切る」人もいる。
「自傷行為をしている」からと全ての人をひとくくりに見なすのは、あまりにも乱暴なように思います。
まさかの初彼氏
好きな人、というピンク色の単語が出たことですし、最後にちょいと恋バナでも投下しておこうと思います。
TOEFLテストでアメリカの大学に入れるスコアを無事ゲットし、エージェントに依頼して現地の英語学校と大学が決まって、いよいよ渡米日程が決まった直後、なんと人生初彼氏が出来ました。
バイトの関係で知り合った年上の男性で、ここでは「ソラさん(仮名)」としておきます。
交際開始のわずか二カ月後に遠恋になる、しかも海の向こうへ行く、ということで、私はだいぶためらったのですが、それも覚悟した上でお付き合いを始めました。
懇意になった頃に、既に私はメンタルの問題をソラさんに話していました。しかし彼は、恐らくそれほど深刻に捉えていなかったのだと思います。
「俺は気にしないよ」
「一緒に治そう」
そう言ってもらえるのは嬉しかったのですが、私は普段元気な時と不調時のギャップが激しく、ソラさんがどこまで許容してくれるか、不安もありました。
渡米までの間、私は着々と準備をしながらも可能な限りソラさんと過ごす時間を作りました。
何しろ人生初彼氏、浮かれっぷりも凄まじかったのですが、「NYに行く」という大目標は全く揺るぎませんでした。日本に帰るつもりはなかったので、ソラさんがいつかNYに来ればいい、なんて話もしておりました。
こうして、私は2002年の六月半ばに単身渡米致します。空港まで見送りに来てくれたソラさんは、悲しみのあまり、その帰りに自慢の車を凹ませたそうです。一方で私は、遂に彼の地に行ける時が来たと大変興奮しておりました。
果たして戸村はNYでどうなったのか? ソラさんとの関係の行方は? 次回より、波瀾万丈のNY編、スタートです。ワイルド・サイドを、マジで歩くのです。
戸村サキ(とむら・さき)
昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。最近年を感じるのは若いバンドが全然分からないこと。twitter@sakitrack