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あらゆる性知識を排除した健全できれいな世界、というディストピア

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裸の少女が虐待される作品は「すべて」ポルノか?

 一元的でなく多画的に物事を見ること、反射的に物事を決めつけるのではなく、冷静に複合的に判断を下すこと。これは、何かを判断する上でとても単純かつ基本的なことですが、個人の利害や特定のイデオロギーに傾倒することで見失いやすいことでもあります(自戒をこめて)。

 ですが、作品のぱっと見の表層だけでなく、その表現に込められた本当の意図を読み解かなければ、その作品を評することなどできないのです。

 『下ネタという概念が存在しない退屈な世界』とは作風は異なりますが、もう一つ、誤解される側面もある素晴らしい作品に、岡本倫の『エルフェンリート』(集英社)があります。2002~05年に「ヤングジャンプ」(同)で連載され、04年にアニメも制作されました。

 『エルフェンリート』は、一瞬見ただけでは、ネコ耳の美少女が裸だったり拘束されて虐げられたり、かと思えばものすごい残虐行為を行ったりするという、ビジュアル面が特徴的な作品です。このネコ耳美少女たちは、人類ととてもよく似た外見ですが、頭に生えたネコ耳に見えるモノは実は二本の角です。彼女らは、攻撃力の高い見えない何本かの腕(ベクター)を持つデュクロニウスという種族で、人間ではないがゆえに迫害され、施設に隔離され実験・研究対象にされているうえ、彼女らの持つ高い攻撃力は兵器として利用されます。

 『エルフェンリート』は、マイノリティゆえに迫害される(が、強大な力を持つ)少女たちと、人間の主人公・コウタが織りなす、「差別と寛容」「特別になることへの憧れと特別な者への嫉妬、特別になることの孤独」を力強く描いた傑作ですが、「肌色面積の多い女の子(=裸の描写)」「ネコ耳をつけてヘテロ男性にとって都合の良い振る舞いをするような女の子」といったぱっと見の印象から、「公序良俗及び女性軽視的観点からの警告」がなされる危険を孕んでいます。

 けれども、デュクロニウスの少女たちが持つ客体性は、ヘテロ男性へのサービスとして以上に、「差別される者」「搾取される者」として描写されているのです。そして、こうした「搾取とサービス」の構造を、ヤングジャンプというヘテロ男性読者を多く持つ雑誌の中で露呈させることは、より強力に差別の残酷さを描く機能を備えているのです。

 「差別と寛容」「特別になることへの憧れと特別な者への嫉妬、特別になることの孤独」という深いテーマを持つ作品が、そのテーマをより深く掘り下げる為の機能(ネコ耳の美少女)のぱっと見の印象によって断罪されてしまうことは、表現を無効にするだけでなく、「クサいものに蓋」という意味にすらなりかねません。それは、ジェンダースタディーズ的観点から見ると、大変残念なことです。

 原爆の恐ろしさを伝えるために描かれた『裸足のゲン』が残酷描写だと言われたり、多様な性のありようが描かれた『境界のないセカイ』の出版が自粛されたり(別の出版社から刊行されましたが)、インターネットの発達によりインスタントに抗議や署名が出来るようになった現代だからこそ、より慎重に、より多角的に物事を見つめなければならないように思います(再び、自戒をこめて)。

backno.

 

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」