鶉 では男性側の問題にうつりますね。既婚男性が若い女の子と遊ぶっていうパターンだけじゃなくて、いくつになっても「モテるオレ/イイ女とヤレるオレ」に固執する独身男性もいます。実は私の知人で、「若いコとヤレるオレ」を誇りにして40代まで生きてきた高収入の独身男性がいるのですが、若いときに六本木のマンションを買って、そこに女子大生をいっぱい呼んで楽しくヤンチャに遊んでたんですって。でも、だんだん自分が年をとるにつれて、女子大生じゃなくて、ちゃんと自分のことをしっかり見てくれる女性と、落ち着いた大人の恋愛がしたいなと思い始めたそうです。だからといって、同年代の女性はオバサンに見えてしまうから恋愛対象にできない。しかし若すぎる女の子ももうイヤだ。今更ハードルは下げられない。どうしたらいいんだろう、って悩んでいるんですけど……。
――さんざん遊び倒して、40代になって「俺の内面を見てくれるコじゃなきゃ」って言い出してるんですね。遅いですよね。
鶉 そうですよね。男女どちらの場合でも、「相手と対等な関係を築く」訓練をしてこなかったツケが、今は良くても、10年後20年後に出るんだぞ、と。
――お肌と同じですね。
鶉 ケアしなかったところが後々、みたいに(笑)。本にも書きましたけど、私がこの「先生」の愛人にならなかったのは、結局のところ、「全部受け入れてあげるよ」という姿勢を示す人には何かしらウラがあると知っていたからです。なぜ知っていたかというと、サークラ時代の私が、男の子に対してまさにその姿勢をとっていたから。サークラは私にとって、「あなたのすべてを受け入れる女神」として振る舞い、「好き」を搾取し続けて自分自身の承認欲求を満たす経験でした。愛人を求める男性たちは、サークラと同じようなことをしています。若い女性に「承認」を与え、彼女たちから「好き」とセックスをもらうことで、彼らは自分自身の承認欲求を満たす構造になっている。
――178ページにありますね。『サークルクラッシャーとオッさんは「理想を提供する側」、それに対して、彼ら彼女らに引っ掛かる若い男女が「理想を提供される側」になる。ここに、恋愛の本質はない』『結局、お互いに欲しいものは、お互いの存在ではなくて、承認だ。お互いの虚像を通じて、自己中心的な承認欲求を満たしたいだけなのだ』と。そして、鶉さんにクラッシャられた男性たちや、岡田斗司夫らの愛人にされた女性たちは、『ありのままの自分を受け入れてもらう』ことばかりが理想的な関係性のかたちとして先行している、『取り繕った自分を相手に見せることは嘘をついているのも同じ、という奇妙な誠実さが、彼らにはある』。ここは唸りました。