スタバは至る所にありますが、私は断固ドトール派です。高校の時からドトール派です。何とかフラペチーノとかトール? とかよく分からない、なんか恐い。スタバに行ったのはNY時代の一回のみ。圧倒的ドトール派閥所属の戸村サキです。
「傷ワケ」こと当連載も、いよいよ佳境に差しかかって参りました。
前回は、遂にNYの大地に降り立った私が、マンハッタンへの愛情のあまり日本で立てた予定をガン無視し、クイーンズという地区で一人暮らしを始め、大学に入ったところまで書きました。ライティングの授業にて「論文のテーマを決めよ」という教授の命令に対し、私はあろうことか自分が行っていた「自傷行為」を設定します。
しょっぱなから恐縮なのですが、この頃の記録は正直読むのがとても難しい、しんどい、ガチ泣きしてしまいます。何故なら2003年といえば私の約三十年の人生において最も病んでいた時期、現時点での「人生最悪期」であり、当然その記録も凄惨を極めるからです。
もう、ね、記録ノートの表紙からして血まみれだったり、「こっちは大丈夫だろう」と思って開いたページに血痕とか、ね。正直恐いよね。スタバの何とかフラペチーノより恐い。
でも、頑張って読みました。連載を書くためというのもありますし、私は当時のことをあまり覚えていないので、自分の過去と向き合う良い機会だと思ったからです。エアロスミスに「Kiss Your Past Goodbye」という曲がありますが、グッバイばかりもしてられんな、と。すまんね、スティーヴン。
私、またやっちゃった!
という訳で、私は自傷行為で論文を書くために、日本語と英語、両方でリサーチを始めました。
驚いたのは、英語で「自傷行為」を表す言葉の多さです。現在は一般的に「Deliberate Self-harm」と言われているようですが、私が最初に知ったのは「Self-mutilation」というもので、他にも「Self-cutting」、「Self-abuse」、「Self-destructive Behavior」等々、多くありました。
特に覚えているのは、自傷行為を「Secret Shame(秘密の恥)」と称していた当事者サイトです。これって「恥」なのか? と、ちょっと疑問に思いましたが、人によっては「やめたいのにやめられない恥ずかしい行為」だったのかもしれません。ある人にとっては「秘密のこと」、しかし一方でこれまで言及した通り、人に見せるために自傷に及ぶ人もいます。この辺は世界共通なのかもですね。
ネット上で自傷行為や入院体験について綴っていた南条あやさんの日記を一気読みしたのも、リサーチの最中でした。凄い人がいるのだな、と思うと同時に、やはりああいった切る描写ですとか、苦しくてたまらない状況を生々しく書かれると、読んでいて「私も切らなきゃ」という感情に襲われました。
当初は「心と身体の軋轢」という曖昧なテーマで数本書いていた私ですが、自傷行為で最初の論文を提出すると、教授からの返答に、こんなことが書いてありました。
「文法ミスなどはあるが、文章自体は良いし、ついに君が書くに値する素晴らしいテーマを見つけた。この調子で書き続けよう」
褒められると調子に乗ってしまう傾向が強い私、そして他者の期待には全て応えたいと思いがちな私は、自ら腕を切りながらも、自傷について調べ、書き続けました。
さて、その頃人生初彼氏・ソラさん(仮名)とはどうだったかというと、どうも私は自傷していることを彼に言っていたらしいのです。例の血まみれノートにはこうあります。
「私はソラさんの気を引きたいから切るのか?
否、ソラさんなら言うだけで信じる。
つまり、実際に切る必要はない」
そんな私に対し、ソラさんはこう言ったそうです。
「今度おまえが腕を切ったら、俺も切るからな」
そこまで心配してもらえること・想ってもらえることに、私はいたく感動したらしいです。前回、ソラさんは「受動的な草食系男子」だと書きましたが、その彼がここまで言うなら相当です。
しかし、そんな感動は二日しかもちませんでした。
ノートには、無情にもこう書かれています。
「私はブリちゃんじゃないけど、『Oops, I did it again!』」
これは当時の流行歌、ブリトニー・スピアーズの曲タイトル、『やだ、私またやっちゃった!』をパロったものですね。つまり、彼氏にそこまで言われても切った、と。やれやれ。