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ハリボテのようなリアリティと、理解されない「わたし」 加藤ミリヤ 『生まれたままの私を』

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加藤ミリヤ『生まれたままの私を』(幻冬舎)

加藤ミリヤ『生まれたままの私を』(幻冬舎)

高校1年生でデビュー以降「女子高生のカリスマ」として語られ、西野カナとともに「『会いたい』系の旗手」、「ギャル演歌の代表」として人気を博している歌手、加藤ミリヤは小説家としての顔も持つ。2011年の処女小説『生まれたままの私を』を筆頭に、翌年には2作目『UGLY(アグリー)』、2014年には短編小説集『神様』(すべて幻冬舎)とコンスタントに作品を発表しているが、前回とりあげた鳥居みゆきの作品と同様に、ほとんど注目を浴びていないというのが実情だろう。

想像力で描かれたハリボテのリアリティ

『生まれたままの私を』の主人公は、女性のヌードを専門に描いている22歳の女性画家、ミクだ。この作品は基本的には彼女のサクセス・ストーリーとして読むことができる。幼少期から非凡、あるいは個性的と評価されてきたミクは、ギャラリーのオーナーから提案された個展がメディアに取り上げられ、一躍注目の若手アーティストの仲間入りをする。ファッション・デザイナーの彼氏ができ、女性ファッション誌から仕事を定期的にもらうようになる。冒頭、不眠症を抱え、母親の仕送りで暮らしていることを「カッコ悪い」と思うミクの姿は、葛藤を抱えつつも順調に成功の道を歩んでいく中で、あっという間に劇中から姿を消してしまう。

とにかく驚くほどトントン拍子に話が進む。芸術家を描く小説ならば「産みの苦しみ」が主題になっても良いはずだ。しかし、そうした展開は一切ないし、そもそも画家が主人公なのに、その制作過程の現実性の乏しさが目立つ。コンクールに出品する作品でさえ、ミクは新宿駅前で家出少女に「ヌード・モデルをやってほしい」と声をかけて自宅に連れて帰り、モデルの裸を前にしてたった3時間で書き上げてしまう。しかも、その絵で入賞までしてしまう(絵の具を乾かす時間などを現実的に考えれば、3時間で絵が完成することはありない)。

アートのマーケットや制度、あるいはアーティストの生活を知らないまま、作者が想像力だけで書いているに違いない、と勘ぐってしまうが、問題はそれだけではない。ミクがどんな絵を描いているかもまったくわからないのだ。どんな色の絵なのか、どんな特徴があるのか。どんな画材を使って、何号のカンバスに書いているのかも定かではない(もしかしたら、絵葉書のような大きさの絵だったのかもしれない)。そうした情報がまるごと欠けてしまっている。

なのにミクの絵は、作中では「素晴らしい」と絶賛されるのだから、読者としてはどうしていいのかわからなくなる。正直ここまで絵や美術についての描写がないがしろにされるのであれば、主人公は、画家である必要がまったくないのではなかろうか。例えば、パティシエでも良いし、渋谷にオフィスがあるIT系の会社員でも良い。なんならマクドナルドの店員でも良いんじゃないか。主人公がどんな職業のキャラクターであっても、これぐらいのサクセス・ストーリーは作り出せるだろう。

こうした欠陥を感じさせながら、その後2冊も本が出せているのだから、固定ファンのマーケットが存在して、商売として成り立っていることがうかがえる。彼女の小説も、彼女の歌を主に聴いている、10代の若い女性に読まれているのかもしれない。それはかつて「ケータイ小説」を消費していた層と重なるセグメントだ。そうした読者は細かい設定などを気にしない、そもそも、それが現実的かどうかなんかわからないだろう(知らないから)。ミクが誘われて行った、ギョーカイ人が集うパーティーには、胡散臭い会話が繰り広げられ、騒がしい夜を過ごしている。「なんか、そういうのってドラマで観たことある。そういうのってありそう」と、読者の彼女たちにはそうして簡単にこのハリボテのようなリアリティを受け入れていってしまうのではないか。

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カエターノ・武野・コインブラ

80年代生まれ。福島県出身のライター。

@CaetanoTCoimbra