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少女漫画の共感過剰/ハーレムラノベの自立した女の子。コンテンツに潜むフェミニズム

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 表現規制の話題は、ともすれば「規制賛成=ヘテロ女性/規制反対=ヘテロ男性」という単純な二項対立に回収されがちです。しかし、世の中は「男を性的に消費するのは女で、女を性的に消費するのは男である」と言いきれるほど単純に構成されてはいませんし、すべてのフェミニストが表現規制を賛成しているというのも大間違いです。

 表現規制の議論で頻繁に俎上に載せられる例として、「萌え絵」があります。「萌え絵を消費する」ことを、「男性・名誉男性的で女性軽視だ」と決め付ける一部の規制派は、なぜか、「萌え絵=オタク男性の性欲=キモい=消せ!」と一直線に怒りを発露させます。まるでチャッカマンのように単純に火がつき、一本の線の上をまっすぐ炎が走っていくのです。

 「消せ!」までたどりつかなくとも、この「萌え絵=オタク男性の性欲=キモい」という固定観念は、pixivユーザー数が1000万人以上いることとは無関係に、世間にこびりついているように思います。「オタク=ロリコンで犯罪者」との印象を与える報道が繰り返された宮崎勤事件や、「何度もコンティニューできるゲームをすると命の重みがわからなくなる」といったTVゲームへの偏見は、まだ色褪せていないのかもしれません。こうした偏見はすべて世間の「空気」としてそこここに存在しています。カメラが日本に伝わった当初は、「写真をとられると魂を抜かれてしまう」という話がまことしやかに語られたそうですが、それと同じように、未知なるもの・理解できないものへの恐怖は奇形化して都市伝説や怪談となり、世の中に定着するのかもしれません。

 単に都市伝説や怪談として折にふれて語られるくらいでしたら風流なものかもしれませんが、それが「オタク(男性)差別」と「反フェミニズム」の無益な消耗戦に発展しがちであることが大変遺憾です。

チャッカマン的表現規制が奪う「機会」

 私は、自分をフェミニストであると思っているのですが、男性向けハーレムラブコメライトノベルやエロゲ原作のアニメが好きです。このことに関しては、折に触れて名誉男性的な態度ではないかと葛藤するのですが、やはり、ハーレムラブコメライトノベルやエロゲ原作のアニメには、分離主義レズビアンフェミニズム的なものが潜んでいると思うのです。

 「ブヒる」という動詞が生まれ、「萌え豚」という言葉の認知に大きく貢献した『IS(インフィニット・ストラトス)』も好きですし、「Nice boat.」でおなじみの『School Days』や『グリザイアシリーズ』のようなグロ鬱展開も大好きです。とにかくシナリオが荒唐無稽で戦闘シーンがある作品が好みです。

 なぜなら、男性向け戦闘美少女・変身ヒロインの方が、少女・女児向け戦闘美少女・変身ヒロインや少女漫画で描かれる少女よりも、才能や努力が正当に評価され、不必要に謙遜したり悩んだりせず、自信を持って独立し、人間関係に悩まずに生きているように描かれていると感じることが多いからです。

 少女漫画の登場人物に比べて、男性向けハーレムラブコメライトノベルや美少女ゲームに登場する少女は、メンヘラ感や明らかなコミュ障っぽさが顕著なことも多いですが、彼女たちは、メンヘラでもコミュ障でも能力に対しては正当な評価が貰え、そこそこ楽しくストレスなく生活できる環境(学校などの組織)に身を置いている場合がほとんどです。人格や精神状態に問題があっても排除や差別をされず、正当に評価が貰える環境は現実では滅多にありませんし、大変貴重です。他方、フィクションの世界なのに、少女漫画の世界は読者の共感を求めるためか、「現実」に忠実な環境が多く描かれます。この差はとても大きいのです。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」