新生活と、隠さない傷痕
コミュニティから遠ざかってからは、簡単なアルバイトをして過ごしました。といっても継続的には勤められず、日雇いの事務や軽作業などでCD代とライブ代を稼ぐ日々でした。
そんな生活がしばらく続いた後、戸村家の情勢は荒れていきます。同居していた祖母がアルツハイマーになってしまったり、身体の弱い母が介護でぼろぼろになってしまったり。
帰国直後よりは母ともスムーズにやりとりをしていましたが、介護や他の問題が絡むと、やはり少しずつ息苦しくなっていきました。私の病気の原因が母であろうとなかろうと、母は私に強大な影響力を持っていたのです(今もですが)。
そこで、両親との話し合いの結果、私の一人暮らしが決まりました。初期費用はまるまる親持ちでしたが、私も少しずつ働けるようになりたかったですし、家族と物理的な距離を置く必要性も肌で感じていたのです。
都内の、チバラキに近いところにアパートを借りました。一人暮らしはNY以来です。親友が近所に住んでいた、というか親友が住んでいたからその町に決めたのですが、いざ一人暮らしを始めるとそいつと遊んでばかりになりました。バイトを探してはいたのですがなかなか見つからず、また、一人暮らし事情がNYとは大違い、ということもあり、すねかじりのまましばらく過ごしました。
この頃の記録によると、私はとんでもなく寝ていたようです。NYでは平気だったのに、高校時代のように再び昼夜転倒し、一日十八時間くらい寝ては自己嫌悪、気晴らしに親友と遊ぶ、みたいな生活。決して褒められたものではありません。堕落、堕落の一途でございます。
しかし、私も好きで寝まくっていたわけではありません。精神科の医者の紹介で睡眠外来に行ったりもしましたし、思い詰めて「起きてる時間が短い私は、人生自体が人より短いんじゃないか」なんて考えたりもしていました。
自傷の状況はというと、ほとんどなかったはずです。
引っ越しの際にカッターナイフを購入しましたが、予備の刃は処分しました。前回、「二十歳でそれまでの倫理観が崩壊して、イチからまた築いている」といったことを書きましたが、その理論で言えばこの頃はまだ三歳児くらいです。まだまだおこちゃまでした。結果、近所に住んでいた親友や、ライブで知り合った友人達に酷い迷惑をかけまくっていました。ううう、申し訳ねぇ。
この頃、傷跡を執拗に隠すのをやめました。医者の言葉がきっかけです。
「貴方が思っているほど、他の人は貴方の腕を見ないわよ」
そう言われた直後は「でもこれのせいで今までさんざんな目に遭ってきたんだよ!」と思ったのですが、まあ、確かに私は気にしすぎていたかもしれないな、と考え直し、普段は半袖を着るようになりました。
一人暮らし開始から四カ月後、私はようやく短時間のアルバイトを見つけます。近所のカフェでの仕事で、制服は半袖でした。
次回は、そのバイト先で起こった色々、その後の色々、そして最後の自傷について書いていきたいと思います。傷を晒して働くことは、はたしてどんな事件を呼ぶのか? 自傷痕は人にどう映るのか? 私は答えを持ち合わせていませんが、その一例をお話しします。