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エロスを表現したアートを文化的に解釈すると、男が去勢されるという珍説

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エロなのかアートなのか。Photo by Brendan from Flickr

 今年のシルバーウィークは、先週お伝えした「SHUNGA 春画展」開幕を筆頭にエロティックなイベントが目白押しだったようですね。私は、「一夜かぎりの見世物小屋」と謳われるサディスティックサーカスに初めて行ってまいりました。エロありグロありナンセンスあり。深夜にオープンし、幻夢と悪夢のあいだを往き来するようなパフォーマンスが明け方まで次々とくり出されます。

 歴史あるイベントですが、今回はこれまでで最大規模だったそうです。アングラな催しが支持を得てどんどんスケールアップし、出演陣も豪華になり……という流れは喜ばしいことのようでいて、古くからのファンからは、キワモノ度が下がって残念という声も聞きます。深夜番組ではおもしろかったのに、ゴールデンタイムに移行したら毒気がなくなって、というのに近いですね。でも初期の同イベントはかなりグロ度が高かったようで、私には無理だったかもしれません。今年版ですら、何度も目を逸らしましたから。マイルドになったとはいえグロはグロ。その一方で涙を誘われるほど儚くて美しいステージあり、手を叩いて大爆笑するステージあり。目を回しながらも、存分に愉しみました。

 そして連休明け、ネット界隈でこんな記事が話題になりました。

ストリップとか春画展とかを非エロのアートやサブカル視点で見たがる女子が苦手

 記事を書かれた方は、ストリップや春画を観るサブカル女子が「身体表現」「女性の裸体とダンスが美しい」「これはエロじゃなくてアート」とカルチャーとしての解釈を強調することで、男性が「M字で大陰唇を広げたとき興奮した」「今ムラムラしてるから一発やりたい」と言えない雰囲気になっていると嘆きます。そんな女子たちが同じくサブカル系な男友だちを誘い、やはりカルチャーの枠組みのなかでエロを語ることにも、同じ男性として大いに憤っています。

 不思議な記事ですね。「エロというジャンルをこんなふうに語るな!」いうことで、その人自身がかえって他人のエロに対する見方を規定してしまっている。とってもブーメランです。「観に来て興奮して勃ってるやつの方が白眼視されそう」という言及もありますが、他人がどう観たかなんて誰もそんなに気にしてませんって。かなり自意識過剰に縛られて、こじらせている印象を受けます。

文化的価値って言っちゃダメなの?

 ストリップに春画にサブカル系エロイベント。こうしたものに好んで足を運ぶ私も、サブカル女子に相当するのかもしれません。自分でそう思ったことは一度もないのですが。まぁそれはいいにしても、エロティックなコンテンツへの感想って、そんな一面的なものではありませんよね。

 私は先週、春画展について「文化的価値とかどーでもいいから、エロ娯楽として楽しんで!」と書きました。ストリップの身体表現と、それを観に来ている人たちへの女体に対するリスペクトに感動した件を当コラムでしたためこともあります。でも、書かなかっただけで構図や色使いに圧倒された画もあれば、ダンスが下手な踊り子さんのオナニーショー的なステージにゴクリとナマ唾を飲み込むこともあったんです。

 「春画」「ストリップ」「サブカル系エロイベント」という括りはあまりに大きすぎるし、どこで、どういうシチュエーションで観るかによっても感想は違ってくるはずです。

 今回の永青文庫では春画の変遷をざっと辿る意味もあり、資料価値が高い作品が多いと思われます。美術を学んだわけでもない私がこんなことをいうのもおこがましいんですけどね。ゆえに見た瞬間、エロスより美的価値を先にキャッチした人が多くても道理でしょう。また、私がストリップ観劇をしたのは都内でもトップクラスの人気を誇る劇場なので、ダンスや表現に定評のある踊り子さんが数多く出演していました。もっと、場末感のある(いい意味でね)小屋で見るとまた違うものが観られたはずです。

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桃子

オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

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