貧乏によって生じた得がたい経験を笑いのネタに昇華することは、もはや定番とも言えるお笑いの手法だが。芸人のなかには少年期に貧乏な暮らしをしていたと語る人がいる。麒麟、田村裕の『ホームレス中学生』(ワニブックス)が2007年にベストセラーとなったことは多くの人の記憶に残っているだろうし、松本人志も自身の経験から相方・浜田雅功が歌った2004年のヒット曲「チキンライス」に、貧乏だった子供の頃に思いを馳せた歌詞を提供している(作曲は槇原敬之)。
田村や松本の語りに特徴的なのは、貧乏だったが人に助けられてなんとか生活できただとか、お金はないけれど、そのなかで家族が精一杯愛してくれたから不幸ではなかった(むしろ、現代では忘れられたサムシングがあるのでは?)、という貧乏の良い話化がなされていることだ。
つぶやきシローが2011年に発表した小説『イカと醤油』(宝島社)を読み始めたとき、すぐに「これも『貧乏良い話』小説か?」と思った。借金を重ね、パック酒を飲みながらスーパーで半額になっているイカの刺身を食べて毎日過ごす「ダメ親父」の茂男(定職なし)と、その息子である健太の父子家庭が主人公……という設定からして、「貧しいけれど、愛情がある親子のハートフルストーリー」を予想してしまう。しかし、その予想はすぐに怪しくなってくる。
毒親の理不尽を、愛故にと受け止める息子
物語は親子が回転寿司屋に向かうシーンから始まる。電車賃がないので歩いて2時間かけてお店にたどり着き、父親は息子になんでも好きなものを食べろと言う。喜び勇んで好きな皿を食べようとする健太だったが、トロの皿に手を伸ばそうとすると父親から叱責を受ける。それは本当にお前が好きなネタなのか? お前が本当に好きなのは(お父さんも大好きな一番安い皿の)イカじゃなかったのか?
暗に茂男は「トロを食べてはいけない」というメッセージを伝えているのだ。それは「好きなものを食べて良い」という最初のメッセージと矛盾する。これはグレゴリー・ベイトソンの提唱したダブル・バインド(二重の拘束)状態だろう。ベイトソン曰く、ある行為者が同時に矛盾する内容のメッセージを複数受け取ると、メッセージの受け取り手はどう振る舞えばわからなくなり、精神的な不安定が生じる。これが統合失調症の発症リスクを高める、という。
こうしたコミュニケーションは、おそらく子供を支配する「毒親」が放つものに通ずるだろう。「あなたの人生はあなたのものなんだから、進路は自分で選びなさい」と娘にいう母親。娘が自分で考えた進路が母親の意にそぐわないとなると、母親はこんな風に言う。「お母さん、あなたよりも長く生きてるからわかるんだけど、この学校は、あなたには合わないと思うの」。少し賢しい娘なら母親の矛盾に気づいて「お母さん、進路は自分で決めなって言ったじゃない!」と反発するだろう。しかし、母親は引き下がらない。「お母さん、知ってるのよ。あなたは本当は良い子だから、そんな反発するような子じゃないって」。親の権力によって二重どころか幾重にも拘束されてしまった子は、息苦しく感じながらも従わされることとなる。
しかし、明らかに毒親関係にあるにもかかわらず『イカと醤油』は、それを問題として描く小説ではない。健太は、茂男の自分勝手な拘束を「お父さんは本当に自分のことを考えて、愛してくれているからこういうことを言っているのだ」と解釈し、積極的に従ってイカを食べる。ダブル・バインドを前にしても、健太はその矛盾したメッセージをストレスに感じていない。というか、貧乏であるという自分の身の上を理解したうえで、気にしないふりをしている。それがこの親子の愛の形なのだ。
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