連載

貧乏な父子家庭の深イイ話……じゃない怪作 つぶやきシロー『イカと醤油』

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この後味はつぶやきシローのワナか?

酒飲みたさに息子の貯金箱に手をつける、息子の自転車を売り飛ばす……父親として(というか人間として)最低の振る舞いが次々に描かれるのだが、健太は「父が喜んでくれるなら」と受け入れていく。筆者は、父と子のかけがえのない血のつながりと愛によって「良い話」として描こうとしているように思われるのだが、あまりに無理があるだろう。全然、良い話になっていない。健太が不憫すぎて、ことごとく良い話化に失敗している。

健太が成長すると学校に通いだし、父親の権力の影響下から距離をとれるようになる。しかし、それによって健太が楽になることはない。むしろ、父親以上の悪意(性的虐待をする教師やひどい肉体的暴力、いじめ)に晒される。とことん、救われない話なのだ。そのとき、父親との関係は相対的に「良いもの」として描かれるのだが、あくまで健太にとっては外よりマシな地獄が家庭にあるだけだ。家庭の外にある地獄から茂男は息子を守ろうとするものの、自分がしてきた最低な行動を帳消しにできるものではないだろう。

最後には、とってつけたようなハッピーエンドらしきものが待っているが、読者はそれを素直に受け止められないに違いない。非常に不気味だし、後味が悪い小説だ。ひょっとしてふざけて「良い話」にしているのか? と疑いたくなるが、その判断もうまくできない。

これと似た読後感を持つ小説があるとしたら、中原昌也やフランスの作家、マンディアルグ(『城の中のイギリス人』は読む性犯罪みたいな小説)の名前をあげたいが、彼らの小説が悪意で振りきれているのに対して『イカと醤油』は、判断がつかない分、より不気味だ(また、明らかにふざけた脱線や脱臼が試みられているものの、あまり面白くない)。ひょっとして、居心地の悪さこそが、つぶやきシローが読者に仕掛けるダブル・バインド的ワナだったりして……。

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カエターノ・武野・コインブラ

80年代生まれ。福島県出身のライター。

@CaetanoTCoimbra