連載

事件のたびに繰り返される母子家庭叩きと支援の言葉 その先に1人の人間がいることを忘れないでください

【この記事のキーワード】

誰かを救うつもりが、苦しめることになっていませんか?

 一見、“母親”の無責任さが原因の事件に思えるかもしれません。でも、私にはそれだけだとは思えません。私がこの事件で「誰も責められない」と考えているのは、単純に、児童相談所が介入していれば良かった、学校が性教育に積極的に取り組むべきだ、少女の母親が少女のことを注意深く見ていれば……といった問題だけではなく、沖縄社会が引き起こしてしまった事件でもあると考えているからです。

 Facebookでシェアしていたのは、沖縄の人が多いように見えました。該当記事のシェア件数が2万を超えていることが物語るように、沖縄社会は決して、“異質な者”に優しい、思いやる気持ちを持った社会ではありません。解決策を考えるのではなく、徹底的に排除するところのある社会です。きっと、支援団体に相談していても、この親子を取り巻くコミュニティは、彼女達を“異質な者”として扱い、ものすごい斥力が働いていたのではないでしょうか。

 私は、Facebookでシェアされた投稿や、地元紙の報道、県外メディアや県外の人が書いた記事に対し、大きな不安を抱いています。

 シェアされた投稿は、「二度とこのような事件を起こしてはならない」という気持ちの表れだと思います。少女は、法的に罪に問われます。少女の母親も、この先、地域社会の中で様々な偏見に晒されて苦労するでしょう。「忘れてはならない」「二度とこのような事件を起こしてはならない」という個人的な想いだけで、Facebookの記事をシェアすることは、少女と少女の母親に社会的な、あるいは、コミュニティ内での制裁を加えやすくなることに繋がりませんか? ましてや、少女と少女の母親の実名・写真までも晒されているとの情報もある中では……。少女が法的な処罰を受け、日常生活に戻った時にどうなるのか。そういった配慮をする必要性があるのではないでしょうか?

 地元紙の報道は、少女が育った家庭が母子家庭で、母親は昼夜働いているとの情報を紙面に掲載していました。そのことにどんな意味があったのでしょうか? 「この事件をきっかけに、母子家庭を取り巻く環境が変わるきっかけになれば」という記者の想いもあるのかもしれません。でも当事者である親子にとっては、ただただ残酷なことだったのではないでしょうか。母子家庭が事件の関係者になったとき、何らかの形でバッシングがたびたび起こります。メディア関係者がそのことを知らないはずがありません。「母子家庭である」ことを報じることで母親が吊るし上げられ、精神的に追い詰められてしまうかもしれないことは容易に予測できたはずです。バッシングによって、「この子がいなければ」「母子家庭じゃなければ」と親子関係に亀裂を生じさせてしまえば、母親も少女も孤立してしまうかもしれません。危険極まりないギリギリの報道だったと私は思っています。

 また、住民の訴えを拾う重要性はどこまであったのでしょうか? 支援団体や学校関係者が発するコメントは2010年頃から変わらず「社会的養護が必要」「関係性の貧困」といったものばかりです。そうした制度も必要です。でも今必要なのはそんな大げさなものじゃない。もっと小さなものでいいんです。本当に少女のことを守りたいのなら、少女の未来を考えて、シェアをやめるように呼びかけてください。制度を充実させること、社会問題の周知よりも先に、まずは少女のリアルな生活が脅かされないためにどのような行動をとるべきなのかを考えて下さい。

 県内の報道だけでなく、県外メディアや県外の人達が書いたウェブの記事・ブログもいくつか読みました。そのほとんどが「支援団体や相談機関を紹介する」ところで止まっていました。相談機関を紹介するだけで改善する? 支援団体に繋げればすべて解決する? はっきり言わせてもらいますが、間違っています。先ほども書いたように、相談できないから、支援団体や公的機関にも繋がれないんです。抵抗があるから、このような事件が起きてしまうんです。確かに相談機関や支援団体を知らない人もいます。でもそれだけじゃない。もう一歩踏み込む必要があるはずです。

 事件発生後、偏見に満ちた様々な意見がネット上に流れます。そうした意見に対して、ひとつひとつ釘を刺すために、情報を発信していくことは重要でしょう。でもだからといってその情報発信が、少女を“公開処刑”するようなものではいけません。情報の先に生身の人間の存在があって、綺麗事だけでは済まされないリアルな世界のことを忘れてはいけないと、この原稿を書きながら改めて感じています。

それぞれの事件に、それぞれの意味がある

 普段より口調が厳しくなってしまいました。言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、残念なことに今の私には、沖縄社会のコミュニティのあり方を上手く言語化する能力はありません。また沖縄社会のコミュニティが、別の地域のコミュニティとどれだけの違いがあるのかも、まだわかっていません。この原稿を書きながらも、自分の力不足を実感し、また新たな誤解を生んでしまうのではないかと不安でいっぱいです。このように事件について書くことが、当事者である少女に、関係者である少女の母親に対して、暴力的なことをしているのではないか、そんな心配もあります。少女が赤ちゃんを置き去りにしたという“行為”の“意味”を、もっと深堀できずにいる勉強不足の自分に反省しています。

 それでもこのようにして今回の記事を書いているのは、子どもが被害者になる事件の際に、当事者やその親を無思慮に批判する人に対して、「一度立ち止まって考えて欲しい」と思うからです。さらに、すべての「置き去り事件」が、同じ背景のもとで起きているとは限らないことも知って欲しいからです。速報性を優先して記事を発信したメディアには、丁寧で地道な取材を重ねて、続報を出して欲しいと願います。

 「沖縄」は、“内地”から遠いこともあり、さまざまな幻想を抱かれているように思います。でも「南の楽園」というわけでもありません。「最低賃金、DV、ひとり親などの指標が、全国のワーストランキング上位にいる沖縄」が全てでもありません。

 沖縄で暮らしている方には、私たちが生きる沖縄社会の残酷さ、事件があった背景に気が付いて欲しい。もちろん、沖縄にも良いところは沢山あります。そして県外に住んでいる読者の方には、いま抱いている「沖縄」のイメージが、本当に正しいのかを改めて考えて欲しいです。同じ“置き去り事件”でも違う“意味”があるのかもしれないことを、ちょっとで良いから知って欲しいと思い、原稿を書かせていただきました。

 最後に、私のインターン先一般社団法人GrowAsPeople代表角間の言葉を引用して終わりたいと思います。

『目の前にいる人は支援対象者ではなく、いつだって1人の人間だ。』

……次回からはまたいつも通り、娘ちゃんや私の母、祖母、弟との上原家の日常をお送りします!

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上原由佳子

1988年生まれ。沖縄県在住。シングルマザー女子大生。女子力の欠片もなさを小学1年生の娘ちゃんから指摘される、どうしようもない系アラサー女子。

@yu756ka