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オナニーのやり方なんて教わらなかった。「精通お祝いパーティー」をきっかけに考える性教育の必要性

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Photo by OUCHcharley from Flickr

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 初潮を迎えると、赤飯を炊く習慣っていまでも続いているのでしょうか? 私(アラサーの男性)は姉も妹もいない家庭で育ったために実際にこの習慣を目にしたことはありません。全国でどのくらい残っている習慣なのか、気になるところです。

 今回は生理ではなく、精通について思うところを書いてみたいと思います。というのも先日togetterでこんな記事を見かけたのです。

『思春期の息子に精通があった時どうするか』育児本の内容にひっくり返る人々「どんな地獄だよ」

 「精通お祝いパーティー」と称して「精通があったら白いケーキでお祝いする」ことをオススメする記述を育児本で見つけたというツイートに対して、様々な反応がまとめられています。「トラウマになる」「おねショタ(※「年上のお姉さんとローティーンまでの少年の組みあわせ」らしいです)が捗る」「初潮はお祝いして、精通はお祝いしないのは不思議」「なぜ白いケーキなんだ」「赤飯を嫌がる女性の気持ちが分かった」といったツイートが見られます。

エロ本とAV以外に教科書はない

 私が「初潮を迎えたら赤飯を炊く」という習慣を知ったのはだいぶ遅かったように記憶しています。学校の授業や友人との会話の中で話題になったことはあったのかもしれませんが、知識として身についたのは高校生くらいだったように思います。

 そもそも私が育った家は「性の話」をタブー視する傾向が強くありました。テレビでセックスシーンやそれを匂わせるシーンが流れるとチャンネルが変わる。それも、性的なシーンが出た瞬間に変わるのではなく「CMになったし……」的な感じで、さりげな~く別の番組に変えられていました。過剰な反応をすることで、むしろタブーが浮き彫りになるのではなく、「そんなものは存在しないよ」とでもいうような、何気ない反応でした。「なんとなく気まずい」のはどの家庭でもあるかと思いますが、我が家にはそれ以上の抑圧があったように思います。

 中学生のときだったと思います。リビングに行くと、母と兄がドラマ『3年B組 金八先生』を見ていました。性教育のシーンでコンドームが取り上げられていたのですが、その時、母が兄に対して「ちゃんと付けるんだよ」と言ったことが今でも強く記憶に残っています。初めて私の家で「性」の存在が公式に認められたような気持ちでした。「そうか、存在していいのか」という気になった。まあただのイレギュラーで、以降「性の話」が出た記憶はまったくありませんが。

 家に限らず小学校でも中学校でも、性教育が行われた記憶はほとんどありません。「保健・体育」の中で、ある程度はやっていたんでしょう、たぶん。中学校によくわからないおばさんがやってきて、性教育の特別授業が開かれたことは覚えています。でも記憶にあるのは「女性器は石けんで洗っちゃ駄目よ」と言っていたことと、「結婚するまでセックスしたことがなく、エロ本も読んだことがなかった男性が、結婚をして初めてセックスすることになったときに妻の顔射(顔に射精)してしまい、離婚することになった(男性は直前にセックスの勉強としてAVを鑑賞していた)」というストーリーだけ。他にもいろいろ話していたんでしょうけど、真面目に聞いていなかったのか、まったく記憶にありません。

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