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自傷=不幸? 結婚=幸せ? 結婚した自傷少女がいま思うこと

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傷の数だけ理由(ワケ)がある

傷の数だけ理由(ワケ)がある

早いものでこの連載「傷ワケ」こと「傷の数だけ理由(ワケ)がある」も第十回、いよいよ最終回、その前編でございます。

最後ですので、これまでの流れをざっくり説明させてください。

わたくしこと戸村サキは、小学校五年生の時に初めて自傷行為に及びました。中学受験をして進学し、厳しい部活に打ち込みながらも腕を切り、文字を刻み、唇の裏を噛み千切り、「友達がいなくてもロックがある」と音楽にのめり込む日々。

高校一年生の夏休みには不安・パニック発作を起こしてメンタルの病院に通うことに。登校拒否に陥り出席日数がヤバくなる中、学校で「おまえさん先生」という命の恩人に出会い、自傷を続けながらも進級します。しかしその進学校には私が本当にやりたいことがなく、高校二年の一学期の末、私は憧れのニューヨークの大学に入るため高校を中退しました。

二年弱英語の勉強をし、渡米二カ月前に人生初彼氏・ソラさん(仮名)とお付き合いを始めましたが、そのままNYに飛び立ちました。英語学校を経て市立大学に進学。人生初一人暮らしは、止める人がいないので自傷を激化させました。さらに大学の論文のテーマをあろうことか「自傷行為」に設定し、自ら腕を切りながらも自傷についてリサーチし、書き続けました。

ひょんなきっかけで出会ったセラピストには「境界性人格障害」と診断され、医療関係者には「貴方の傷は浅い」と言われて追い詰められ、結局八方塞がりとなって帰国、そのまま都内の「閉鎖病棟」に入ります。そこで、母親に言わせるところの「廃人状態」になり、入院中に自傷に及んだことで「拘束」されるという人生最大のピンチを体験、その後退院します。

家庭の事情で都内で一人暮らしするようになり、ほどなくして制服が半袖のカフェで働き始め、自傷痕について様々なことを言われ、最終的にドクターストップで仕事を辞めました。

今回は、それからのこと、そして今現在のことについて書いていきます。

治ってきているから辛い

喫茶店でのアルバイトを辞めた後、別の会社でバイトをしました。しかし、仕事が激務すぎてストレスが身体症状に現れ、二度目の入院を経験いたしました。最初の入院は以前書いたように、閉鎖病棟に入ることになったり拘束されたりと散々でしたが、この時は開放病棟で二カ月過ごしました。

退院後、哀愁のチバラキに出戻り、いくつかバイトを転々としました。残念ながら喫茶店のマネージャーに言われた「こんな簡単な仕事ができなきゃ社会に出られないわよ」という予言が当たってしまい、どのバイトも長続きしませんでした。

メンタルの問題も、ずっと治療を受けています。たまに「私、ホントに良くなってんのか?」と疑問に思うこともありましたが、当時の主治医は、「今まで自傷や記憶を飛ばすことで発散していたストレスを、今は自分で受け止めているから、実感する辛さは昔より強いかもしれない」と言いました。

治ってきてるからこそ、より辛い。なんて皮肉な展開だろうと思いました。

レッテル貼りは「断罪」?

現在私は哀愁のチバラキを離れ、夫と二人で東京に住んでいます。実はこの連載を書いている最中に入籍しました。

「結婚した」と言うとほとんどの人が「おめでとう!」とか「良かったね!」と声をかけてくれるのですが、そしてそれは本当にありがたいのですが、私は「これからが大変なのに何がめでたいんだ!」と内心逆ギレしていました。夫はかなり年下ですし、私のメンタル問題も完治や寛解からはほど遠い状態だからです。私は現状を「崖っぷち婚」と呼んでおります。

よく、「結婚してるから」とか「子供がいるから」とか「相手がいるから」とかいう理由で、その人が「安全地帯」にいると思われたり、「辛さが軽度」と思われることがあります。というか私も過去にはそう思っていたのですが、実際そんなことはまったくなく、結婚していても、伴侶というかけがえのない存在がいても、辛いもんは辛いし、しんどい時はしんどいですね。「既婚」などの表層的なことで人の苦しみを軽視したりカテゴライズしたりするのは、ある意味で暴力的だと私は考えます。

絶対的な幸せでないにもかかわらず、「結婚=おめでたいこと」、もしくは「既婚=安定している」という公式が、世間一般ではまかり通っています。こういった「レッテル貼り」や「ラベリング」は、自傷にも同じことが言えるかもしれません。「構って欲しいから自傷するんだ」とか「自傷しているから○○病に違いない」とか、その人それぞれが自分の持つ知識や経験に基づいて自傷行為やその他様々な事柄・人間・人格を「判断」し、時に「断罪」してしまいます。それは悪意に満ちていたり、逆に気遣う心から起こるもので、その「経験則」は時に正しく時に的外れだったりします。

「傷の数だけ理由(ワケ)がある」と、私はこの連載を通じて何度も書かせて頂きました。でも同時に、「傷を見た人の数だけ理由(ワケ)が生じる」とも言えるのではないでしょうか。この連載において、私は徹底的に「当事者サイド」から自傷行為について書いてきました。それは単純に私が「元・当事者」であるからですし、「非・当事者サイド」のことは正直書ける気がしないからです。

それでも、家族や友人、医療関係者などから、色々な「判断」を受けてきました。もちろん、私自身が他の自傷当事者について「判断」することもあります。少しそれを振り返ってみたいと思います。

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戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack