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自傷=不幸? 結婚=幸せ? 結婚した自傷少女がいま思うこと

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自傷は「構ってちゃん」の行為だと思っていませんか?

例えばある人が自傷していたとします。

非・当事者がその人の傷を見れば、「構って欲しいのか」、「病気なのか」といった理由が、傷を見た人の数だけ発生しますよね。しかし当事者からすれば、理由は十人十色で、また動機は流動的だったりします。この齟齬を埋めるのはほとんど不可能に近いでしょう。

そこで浮上するのが「パブリック・イメージ」です。世間は自傷行為をどう見ているのか。第一回で書いたように、私の中高時代に比べれば、自傷行為は世間的にもそれほど「タブー」ではなくなってきています。当時は、「タブー」だったからこそ、インターネット上に自傷に関する様々なサイトが溢れ、少なくない人がそのサイトを覗き、または自傷をしていたように思います。しかし自傷行為にまつわる書籍やフィクション作品も増え、それも徐々にセンセーショナルではない冷静なものが増えてきている気がします。また、一部の精神疾患がマスメディアで取り上げられて知名度を獲得してきていることは私が説明するまでもありません。

しかし社会の中で認知されるにつれて、極端な反応も生まれているように感じられます。「病気だ」、「異常だ」という反発から、「ケアが必要だ」という支援の必要性を感じる人もいるでしょう。またはその特殊性を「神聖化」している人、それは主に若者に少なからず存在しているように思います。「ファッション・リスカ」や「構ってちゃん・リスカ」といったスラングも生まれたほどですから。事実、昔の私がそうで、自傷する自分・病気である自分、それに酔うことで精神的な痛みを緩和していた時期もありました。このタイプの人は、いまだ多いように思います。

また、私の時代と違うものとして、インターネットを誰もが使うようになり、さらには携帯電話・スマホが普及しています。端的に言うと、自傷痕や自傷行為自体の画像・動画などが、ネット上で不特定多数と簡単にシェアできるようになりました。これは私も経験したことがあるのですが、自傷痕の写メを見てしまって「自分ももっと切らなくては」と焦ったり、「こんな浅い傷晒すなよ」と馬鹿にしたりと、少なからず影響を受けてしまいます。しかしこれらの投稿・シェアを規制するのもまた、不可能に近いでしょう。

では、私たちが自傷行為というものと向き合う時、どのような心持ちで臨めばいいのか?

その答えも、残念ながら私は明言することはできません。いや、私個人の感覚は言えます。しかしそれが全ての人に当てはまるわけではないので、安易に「こうしろ!」とは言えないのです。それでも私の考えを書きたいと思います。「自傷(だけでなく、他の問題も含めて)」について、向き合い方のひとつのあり方としてちょっくら参考にしていただければ幸いです。

戸村の考える、自傷との向き合い方

傷の数だけある理由(ワケ)に対して、なるべくフラットに接することはたいていの人・物事に有効だと思います。ただ気をつけなければいけないのは、「この人はこういう理由で自傷しているから、あの人もそうに違いない」といった思い込み・勘違いです。自傷に関して言えば、上に書いたように「経験則」はほとんど役に立ちません。むしろ経験や知識が築く「判断」を、事ある毎に捨てなければいけないと私は思います。

例えば自傷する人の中には、自傷行為を「常軌から逸した特別な行為」と思って、自分と他の人間の間に線を引く人種がいます。私もそうでした。そういう人に対して「自傷は一般的で誰でもやってる」とか「貴方の気持ちはよく分かるよ」的な「共感」の姿勢をとるのは、あまり良い手ではないのです。「あなたに私の気持ちがわかるはずがない」と思う人もいる。しかし当然、共感や帰属感を求めて自傷に及ぶタイプもいる。その人がなぜ自傷行為を行うのかは、すぐに判断できるようなものではありません。

ここまで散々「人それぞれ」と私が書いてきたのは、これほどしつこく書かないといけないくらい私が誤解されてきたからでもありますし、自傷行為に限らず様々な「マイノリティ」と呼ばれるものと相対する時も同じような気の持ち方が必要だと思うからでもあります。自傷行為、精神疾患、家庭の問題、セクシャルマイノリティ、肌の色、宗教の違い等々、人間の大得意な差別やラベリングは色んな形で至る所に転がっています。これまで気付かれずにいた問題が、社会に認知されるようになったとき、わかりやすいストーリーや極端な事例が紹介されます。あるいはそのカウンターとして、より「正しい」情報も表れるようになる。でもだからといって、それら全てが、いつでも正しいわけでもなければ、間違っているわけでもありません。

自分の価値観にないものと向かい合おうとする時、それまでに得てきた「経験則」は易々とくつがえされます。ですから、自分の経験や知識は世界の全てではないことを重々留意する必要があります。「自分とは関係ないことに対して、どうしてそんな注意深くならなくちゃいけないんだ」と思う人もいるでしょう。だとしたら、少し距離を置けばいい。「関係ない」からといって、人を傷つけるようなことをしていい理由にはなりませんし、いつ誰が「当事者」になるか分からない時代です。

こうして偉そうに書いている三十路の私も、もちろんそういった「築いてきた価値観や判断基準の崩壊」を何度も体験してきました。これからも価値観や世界観が無に帰すことはあると思います。でも私はそれを嬉しく思います。それだけ自分の世界が広がると感じるからです。まあ痛いんですけどね、そういう体験って。今までの自分を否定するわけですから。

何だか話が抽象的かつ壮大になり気味ですが、自傷行為について考えることをきっかけに、これまでの自分にない視点が開けることもあると思います。次回は最終回後編、私の現在の話などさせていただきます。自傷少女が自傷をやめて三十路になった今だからこそ書けることを書いていきたいです。
(後編につづく)

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戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack