連載

傷だらけの左腕にはえた産毛は、自傷少女の希望でした。

【この記事のキーワード】
傷の数だけ理由(ワケ)がある

傷の数だけ理由(ワケ)がある

戸村サキの自傷行為に関する連載「傷ワケ」こと「傷の数だけ理由(ワケ)がある」、ついに堂々の完結編であります。

前回は最終回前編として、私の現状や「レッテル貼り」、自傷行為や各種「マイノリティ」と呼ばれる人・事象と向かい合う時の、私なりの考えを書きました。今回はその補足、元・自傷少女=現・三十路女子の現在の考えをお話しさせていただきます。

脱・自傷の手がかり

私は現在、自傷行為をしていません。第九回で書いた、「振り出し」を恐れるきっかけになった自傷が最後です。つまり自傷をやめてから十年近く経過しますが、それでも今でも「自傷欲」は、ときおりふらりとやってきます。主にメンタルに負荷がかかった時なのですが、私の場合は不快感情を与える相手に対しての「あてつけ」みたいなきっかけが多いです。

第二回で、私は「怒りなどの不快感情を上手く表現できないから自傷していた」と書きました。その後「トリガー(きっかけ)なき自傷」などもありましたが、やっぱり私の場合、根っこは「怒りのマネージメント」が大きいのだな、と思います。

そういった「自傷欲」に最近の私がどう対処しているかというと、怒りなどの不快感情をなるべく素直に相手に伝える努力をしています。そして、たとえ直接言えなくても、それら感情を自分の内側にためこむことはせず、全て文章に書き起こしています。自分の本音を活字化すること・アウトプットすることは、私に関して言えばかなり有効です。

そして前々回の母親の言葉、自傷した私に対して言った「これで振り出しだね」という台詞は、自傷をやめてからこの連載を書くまで忘れていました。何でもかんでも忘れてしまう症状は今でもあります。これに関しても、備忘録や日記を書くことで対処しています。

しかし、活字化する、言葉にすることが完璧なソリューションかというとそうでもなく、文字にすることで、その言葉に逆に取り憑かれてしまうこともあります。「辛い」と書いたら辛さがくっきりとして更に辛くなったり。この辺りは人それぞれだと思いますが、何事も適度に、が一番ですね。

「不快感情を『外』に発散する術」として、私は書くことを選びましたが、この発散方法はそれぞれが自由に模索すべきだと思います。自傷の代替行為というのは言い方が悪いかもしれませんが、何か一つでも、あるいは複数でも、自傷以外のコーピング方法があれば、不快感情が襲ってきた時に手が打てます。

しかし「自傷の代わりにこれをしろ!」と私が具体的に提案することはできません。やり方は本当に人それぞれです。もし自傷行為を現在進行形でやっていて、やめたいと思う方がいらしたら、もしくは周囲にそういう方がいたら、まずは自傷に代わる自分だけの対処法を探してみるといいと思います。探し始めること自体が、既に脱・自傷の第一歩ではないでしょうか。

まだ怒りのマネージメントは苦手

私が一番最近「自傷欲」に襲われたのは、珍しく夫と喧嘩した時のことです。普段は言い合いなど全くしませんし、そもそも私は怒りをいまだに素直に口に出せません。その時に、「腕を切れば夫は傷つく、ダメージを与えることができる」という考えが湧いてしまったのです。あてつけというか幼稚というか、そんな思考が三十路に至っても出てくる自分に少し呆れました。もちろん、実行はしませんでした。以前しつこく書いた通り、「振り出し」に戻るのは絶対に嫌でしたし、せっかくこれまでの自傷痕も目立たなくなっています。何より、喧嘩していたとはいえ夫はかけがえのない存在ですから、彼を自傷の言い訳にはしたくありませんでした。

結局その時も、思いを全て書きました。ノートにも殴り書きしましたし、パソコンでも書きました。喧嘩勃発は深夜でしたので、夜が明けてから友人に話を聞いてもらったりもしました。その後無事に仲直りしたのですが、その際に、自分は不快感情、主に怒りを表現するのがとても苦手であることを夫に伝え、「今後何か思ったら、なるべく夫に直接言う努力をする。口で言えなければ書いたものを読んでもらう」という約束をしました。現在はそれを頑張っています。まだまだ怒りなどの感情をストレートに表現するのは不得手ですが、少なくとも自分の中にためこんで自分に当たることはなくなりました。

1 2

戸村サキ

昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。

twitter:@sakitrack