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ビートたけし、愛人との「老いらくの恋」に本気モード。妻の悲しみを思う

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 たけしの所属事務所は、「彼女とは男女の仲ではなく、たけしのプライベートなプロジェクトで協力をしてもらっている。ポルシェもその関連で使うことがあったのかもしれません」と説明。再三の報道にも「愛人ではない」と言い張るのはなぜか?

 同紙記事では最後に「幹子夫人は怒り再爆発か、はたまたサジを投げるのか」と結んでいる。つまり、古くから自分を支えてくれた夫人に頭が上がらないから、たけしは愛人報道を頑として認めないのだ、という見方だ。同誌が昨年、幹子夫人のもとを訪れ愛人問題を直撃した際には、「私、それ(愛人問題)知らないですから!」と激昂されたらしい。どうかまた今回も夫人のもとへ突撃取材などがないことを祈る。少し落ち着いて考えてみてほしい。幹子夫人は悲しみや喪失感を抱えていないのだろうか?

 いくら恐妻だと言われていようと、自分の夫が違う女性と愛し合っている、ということを他人から突きつけられて気分がいいはずはなかろう。悲しくないわけがないのだ。共に70歳間近になり「いろいろあったけど、余生は、ゆっくり夫婦水入らずで過ごそう」という選択をしてもおかしくない年代である。それなのに夫は妻ではない女性と毎日一緒にいることを選んでいる。夫の日々の生活の世話を焼くのは妻である自分ではなく愛人で、実際愛人がわが物顔で夫の車を運転しているとなると……妻として心の痛みがないはずはない。放蕩の限りを尽くした夫が「じじいになったので、戻ってきましたよ」と言ったからといって「はい、そうですか」とすんなり受け入れられるかどうかも甚だ疑問だが、このまま最期の時まで妻のところへ戻らないとしたら、それはなんともやりきれない。
(エリザベス松本)

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