「読書家の女性芸能人」というと読売新聞で書評を書いていた小泉今日子の名前が思い浮かぶ。書評で取り上げた本が魔法のように売れるという才能が彼女にはあるようで、たいへん好評な連載だった。今月、彼女の10年に及ぶ書評連載をまとめた『小泉今日子書評集』(中央公論新社)が発売され、ベストセラーとなりつつある。「文学アイドル」、「SF書評アイドル」、さらには「哲学アイドル」などという言葉をプロフィールに連ねているタレントが珍しくない昨今であるけれど、「書評」で一冊本を出せるのは、今の芸能界では彼女ぐらいではないだろうか。
しかしながら、今回取り上げるのは小泉今日子ではない(残念ながら小説を書いてないのである)。渡辺満里奈の小説『ことづて 新しい気持ち』(ソニー・マガジンズ ※会社統合により現在は、エムオン・エンタテインメント)だ。最近では、ピラティスだのマクロビオティックだのオーガニックコットンだの「ナチュラル系アンバサダー」あるいは「体に良さそうなもの親善大使」的なイメージばかりが付いてまわっている渡辺満里奈が読書家であることを知らない方は少なくないだろう。
だが、彼女も相当な読書家のようだ。ウィリアム・フォークナーの『八月の光』(第一次世界大戦と第二次世界大戦のあいだのアメリカ南部のドロドロした感じがものすごい密度で描かれている大名作)を好きな小説にあげていた、という話もあるぐらいだから(作家・中森明夫のツイート)、その読書歴の骨太さは推測できる。ちなみに名倉潤も雑誌上で書評コラムを連載していた。読書家夫婦のようだ。
さて、今回取り上げる『ことづて』は、1990年に刊行された、いわば「ナチュラル嗜好以前の渡辺満里奈」が記録された貴重なものである。
凡庸な「なんとなく、クリスタル」
1996年の文庫化時、彼女自身「(18、19歳の当時に書かれた文章を)できれば封印しておいて欲しい」と振り返っているのだが、その気持ちはわからなくもない。本書は、1つの中編小説と、ごく短いエッセイや童話、ポエム、日記などの「雑文」とも言うべき文章群の2部で構成されているのだが、この雑文パートがとにかく最高だ。日記部分から引用しよう。
「冒険、した。/私にとっては、ちょっとした勇気だった。/土曜日のSHIBUYAにひとりででかけてしまった。」
「1:00すぎ、きれいになったキッチンでホットケーキ作って、熱いMILK TEAを入れて、BRUNCHをとった。」
この当時、こういう表現が「CAWAII!!」だったのだろうか。唐突に挿入されるアルファベットに吹き出す。このこそばゆい感じ、なにかに似ていると思うのだが、そうだ、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1980年発表)をものすごく凡庸にしたらこんな感じになりそうだ、と思い当たった。「向島を歩く時にブランド物を着ていくなんて、愚かしいことはしない。アメ横へは、太うねのコーデュロイ・パンツに、同好会のエンブレムのついたスタジアム・ジャンパーを着て行く。服だって、その場に合った着こなしというものがあった」。
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