同名の漫画が原作で、産科医療の現場を描いたドラマ『コウノドリ』(TBS系)が放送中だ。同ドラマでは、臨月で事故に遭った母親の出産、喫煙妊婦の出産など、様々なお産に向き合う家族や医療従事者らの様子が描かれ、話題を呼んでいる。これを観るたび、出産はひとつとして同じものはなく、皆大変な思いをして産んでいるのだと再確認する。今回、小町でも分娩にまつわるトピが議論を呼んでいるのでいくつか紹介したい。
「無痛分娩なのに…」
トピ主(女性・年齢不詳)は自然分娩で出産し、同僚A(同)は無痛分娩で出産した。最近、結婚したばかりの後輩が出産について知りたいらしく、昼休みにトピ主とAに色々と話を聞いてくるようになった。その場でAは「いかに陣痛が痛いか、いかに出産が大変か」を語るのだが、これを聞くたびトピ主は「え…? 無痛なのに?」とモヤモヤするのだという。
「もちろん無痛分娩だって立派なお産ですし、無痛分娩でもある程度は痛いと聞きます」「でも、まるで武勇伝を語るように、『痛かったー。死ぬかと思ったー。』と、同僚の出産痛かった自慢を聞くたびに、もやもやする自分がいます。心の中で『無痛なのに、大袈裟だろ』とツッコんでしま」うのだという。
また、Aは後輩に自分が無痛分娩だったことを言わないのだという。トピ主の抱えるモヤモヤは何なのか、「私の器が小さいだけでしょうか」という相談だ。
無痛分娩も痛みがあるという前置きをしたトピ文だったが、やはりコメントではここに食いつかれていた。“無痛”と銘打たれているが、痛いものは痛いらしい。経験者たちは語る。
「無痛分娩でしたが、かなり痛かったです」
「自然分娩の方が無痛分娩よりも痛くて苦しいのは一般的な話ですが、万人にあてはまるものではありませんよ」
「痛みの感じ方は人それぞれなので、多分その同僚さんにしたら、死ぬほど痛かったのかもしれませんよ」
などなどである。前置きしたのに怒られるのが小町であるからこれは仕方がない。
一方、トピ主の抱えるモヤモヤについてのコメントは的確だ。
「無痛分娩を否定するつもりはない、と言いながら、自然分娩の私の方が痛かった!と上から目線ですよね」
「ここでみんなを巻き込んで、同僚を責めあげたいほどストレス溜めてるなんて、確かに器が小さいなと思います」
結局のところ、トピ主は「痛みに耐えた私の方が、Aより辛いお産をしている!」という自負があるため、Aに対してモヤモヤするのではないかという指摘である。筆者も同じように感じた。また「さらっと『無痛だったよね』とAに言えばいい」とのコメントも多く、これにも同感だ。が、「いまだに帝王切開や無痛分娩に対する偏見があるので、(Aは無痛分娩したことを後輩に)なかなか言えないってこともあるのでは?」というコメントもある。確かにAもなにか思うところがあり、隠しているのかもしれない。
「出産って不思議で、何故か『痛み自慢』が多いですよね。より大変なお産、よりも痛みを永く感じたママが偉い、みたいな」
というコメントにもまったく同感だ。お産は人それぞれ、皆大変なのだ。人によっては言いたくないこともある。苦労自慢はそれなりの関係を築いてからにしてほしいと思う。
「主さんのような方や、無痛分娩の対しての偏見があるのを知っているので、わたしは夫にさえ言ってません。同じ病院で出産した親戚だけです。友人にさえ言ってません。」
無痛分娩を選べる時代なのに、こんな罪悪感を感じる女性もいる。次に紹介するトピ主と同じように……。それもこれも、『お腹を痛めて産んだ子』などという言葉がある通り、痛みや苦労を伴ったものであるからこそ尊いという宗教めいた“痛み信仰”ゆえだろう。『母乳で育てた方が愛情が伝わる』などといった母乳育児礼賛ともセットになりがちだが、出産や育児にはとかく女性の“苦労”が伴わないと愛情が足りないと思われるようだ。これは男性に限った話でなく、トピを見ると女性にもまだ根強い価値観なのかと驚かされる。とにかくコメントでは“私も痛かった”、“私も大変だった”のオンパレード。トピ主を批判しながら、結局コメント主らも“苦労自慢”になっているところが皮肉である。まあまあそんなにアツくならなくても……。
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