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フィクションで描かれる「性犯罪」はどうあるべきか、どう受け取るべきか

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momoco120

エンタメとして消費するのはNO! Photo by sumaryanto bronto from Flickr

 たとえフィクションのなかでも、性犯罪を目の当たりにすると、被害者のダメージを慮って苦しくなると同時に、自分が損なわれたように感じます。その犯罪を被る第一の理由が〈女性であること〉に尽きるというのはものすごい恐怖だし、それは女性の尊厳そのものを傷つけます。

 もちろん男性の性犯罪被害者もいますが、内閣府の調査では性犯罪被害者の約8割は女性です。同調査で被害者の年齢を見てみると、最大のボリュームゾーンは20代の37.3%ですが、30代もほぼ同じ35.3%、40代以降も約27%います(10代の被害者っていないの? と疑問を持たれるかもしれませんが、調査対象がそもそも18歳以上なのです)。「ババアなんて襲わねーよ!」という男性もいますが、それは現実を知らないだけです。

 さて、私が最近遭遇してしまった〈物語のなかの性犯罪〉。それは、1970年代初頭の日活ロマンポルノにありました。ヒロインは匂い立つようにセクシーな女性ですが、その実父は、認知症がはじまっているうえに、借金してまで競馬に行く始末。そして時間がすぐに戦時中に巻き戻ります。かつての軍隊仲間との集まりでしこたま酔った帰り道、制服を着たまだ幼い顔立ちの女の子が向こうから自転車でくるのを、仲間たちと通せんぼして止め、自転車を倒し、女の子をレイプするのです。

 レイプといっても、この父親に対して元妻が「もう10年以上前から使い物にならないのよ」といっていたのでEDになってから長いようで、女子学生にのしかかっても反応しない下半身をぐいぐい擦りつけているだけ。老いさらばえて枯れ木のようになった男が、自分の人生のピーク(軍隊時代)を偲んで羽織袴という一張羅に身を包み、自分のイチモツを孫のような年ごろの少女に押し付けて欲望を果たそうとする……グロテスクなシーンです。

女性にレイプを肯定させる

 醜悪さに鳥肌が立った私ですが、フィクションで性犯罪を一切描くべきでないと思っているわけではありません。特にこのシーンはそのおぞましさが際立っていました。

 男性を勃起させることが目的のポルノ映画ではありますが、このシーンにおいてそれはなく、男の欲望がいかに忌まわしいか、過去の自分(戦争で活躍したし、勃起もした)に執着するしかない老境がどれだけ哀れか、老いと変わりゆく社会を受け入れることがどれほどむずかしいかが余白なくぎっしり描き込まれていて、これで勃起する男性がいたらよほど偏った性的嗜好といわざるをえません。

 性犯罪が語られるときに必ずといっていいほど出てくる〈自己責任論〉の入り込む余地もありません。女子学生はただ自転車に乗って、おそらく家路についていただけなのですから(ちゃんと自転車のライトも点灯していたし)。

 ここだけを切り取ると性犯罪を糾弾する意図があるようにも見えました。行為の途中で巡回中の警察官に見つかったときの父親の顔は、完全に人間としての正常さを失っていて、これを機に狂気の世界の住人となり、会話もままならなくなります。

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桃子

オトナのオモチャ約200種を所有し、それらを試しては、使用感をブログにつづるとともに、グッズを使ったラブコミュニケーションの楽しさを発信中。著書『今夜、コレを試します(OL桃子のオモチャ日記)』ブックマン社。

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