私が気が遠くなるほど「受け入れられない! 無理!」となったのは、その後のシーンです。主人公の弟(この父親にとっては長男)が、父親を評して「でも、俺、親父のこと見直しちゃったなぁ。やるじゃん」というのです。主人公はそれに対して曖昧な顔をして頷くだけ……父親の性犯罪がこの数秒のシーンで、漂白されてしまいました。まだ十数年しか人生を歩んでいない女の子の心身を徹底的に踏みにじることで、男としての自尊心を満たそうとした父親を称える男性(息子)もありえないですが、それを否定しないことで許すという役割を女性(娘)にさせるとは……唖然としました。
ポルノ映画を見て何をそんなに怒っているんだ、といわれるかもしれません。レイプシーンはポルノに付き物。男性の性的興奮を刺激するための定番手法です。私が応援している女性ピンク映画監督の作品でもレイプシーンはたびたび登場します。でも、男性の欲望は最終的には達成できず、それどころか女性からの反撃を受け痛手を負います。そうやすやすと犯られてたまるか! といった女性の気概を代弁してくれています。
過去の作品でもレイプはNO!
そのひとつのテーマにどこから光を当てるかによって、見え方が変わることは私のようなド素人がいうまでもないことですが、特攻隊として死んでいった人たちを描いて戦争の悲惨さを伝えるか、それとも、美談として描いて結局は戦争賛美につなげるか……。こう書くと、まぁあの小説のことだなと思われるかもしれませんが、ハイ、そのとおりです。映画化もされ、それがヒットするほど、「戦争賛美だ」という批判が出てきましたし、そのたびに反対意見も湧き出てきました。なかには、「エンタテインメント作品を見てそんなに怒るのは無粋だ」「いやなら見なければいい」という声もありました。
ポルノだから性犯罪を肯定していい、エンタテインメントだから戦争を賛美していい……とは私はいいたくないです。「1970年代の映画で、いまとは性、性犯罪への考え方が違うのだから、いまさら怒っても無意味だよね」と聞き分けがよくなるのも御免です。むしろ、フィクションをとおして男にも女にもレイプを容認させるこんなクソな時代があったけど、じゃあいまはそこからどのくらい変わってるの? ほんとうに変わったの? と考えながら、それでも過去にさかのぼって否定していきたい。特に女性をとおして性犯罪を肯定させることには、現在の作品だろうが過去の作品だろうが関係なく、大声で異を唱えていきたいとあらためて心に誓うのです。
(桃子)
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