連載

レズビアンフォビアと「性的消費」潔癖性について

【この記事のキーワード】

 「他者から欲望を向けられること」は、当然ながら欲望を向けられた側にも感情や趣味判断があるのですから、「嬉しい」から「吐き気がする」まで受け止められ方は様々です。欲望を向けられた者の「他者から向けられた欲望を拒絶する」権利は、絶対に尊重されなければなりません。他方で、人間は誰しも様々な欲望を抱くものなので、誰かが何かを欲望することそのものを禁止することはできません。ステーキが大好きな人に、「これから一生ステーキについて考えることを禁止させる」というようなもので、土台無理な話なのです。

 重要なのは、「他者から向けられた欲望を拒絶する」権利なのであって、他者から不本意な欲望を向けられる可能性があるから、私に対して不本意な欲望を抱き得る他者の欲望そのものを去勢しよう。ということではないのです。言うまでもなく、自分だって、他者に受け入れられないような欲望を抱く可能性は十二分にあるのですから、他者の欲望そのものを虚勢したいのであれば、もう、人類総出で滅びるしか道はないでしょう(笑)。

 誰もがみな、何か(人とは限りません)を性的に消費して生きています。禁欲的であろうとすることも、快楽を追求することも、個人の自由であり、誰かに不利益をもたらさない限りは尊重されなければならない大切な権利です。

 「欲望する権利」は去勢すべきものではないし、「欲望を拒絶する権利」は尊重されるべきものです。この両立にはしばしば困難が伴います。現状、しつこいナンパやつきまといや性犯罪の被害者は圧倒的に女性が多いことも事実です。だけど、私はこの両立を諦めたくない。『「欲望を拒絶する権利」が尊重されないのだから、「欲望する権利」を去勢しよう』という考えでは、結局、女性を含む様々なマイノリティの権利なんて向上しないように思うからです。

 そして、「ファンタジーとして他者(キャラクター)の身体を欲望する」という行為において欲望されるものが、実在する人間と地続きの性別や属性であるかということも、もっと考えられなければならないと思います。ハーレムラノベや美少女ゲームにおいて、読者やプレイヤーの視点は、必ずしも主人公男性キャラクターと同期するものではありません。物語の感想が人によって違うことと同様に、読者・プレイヤーの数だけ視点は存在するのです。

 ヘテロ男性向けとされる百合やレズ作品の中にもジェンダー・セクシュアリティスタディ−ズの視点から画期的で素晴らしい物語はたくさんあります。それを、「女性キャラのおっぱいが大きい」とか「肌色成分が多い」とか「無駄にセクシー」とか、ぱっと見の印象や見た目だけで判断してしまうことは、とてももったいないことです。個人的には、むしろ、ぱっと見の印象や見た目だけで判断してしまう時こそ、自分の中にある差別意識と向き合うチャンスだと捉えた方が世界は豊かになるように思います。

 来週は、ヘテロセクシャル男性に支持される百合やレズものの中に隠れたジェンダー・セクシュアリティスタディ−ズという視点から、昨年~今年春にかけて放送されたテレビアニメ『クロスアンジュ』を読み解きたいと思います。

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2016年2月19・20・21・27・28日 連続トークイベント『マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー』開催!

【MAPA】
マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー・アーカイヴプロジェクト

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」