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「服は4着だけ」「スーツでひとりキャンプ」紀里谷和明監督の謎のこだわりライフ

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紀里谷和明Twitterより

紀里谷和明Twitterより

 現在公開中の『ラスト・ナイツ』(KIRIYA PICTURES、ギャガ)でハリウッドデビューを果たした紀里谷和明監督が11月16日に放送された『しゃべくり007』(日本テレビ系)にゲスト出演していた。

 バラエティーに限らず、さまざまなジャンルの番組に立て続けに登場し、裏側に『ラスト・ナイツ』のミニポスターがプリントされた名刺を街中で自ら配り歩くなど、なりふり構わず同作の宣伝に勤しんでいる紀里谷監督であるが、『しゃべくり』では、なんとも変わった生態を披露してくれたのである。

紀里谷監督ってどんな人?

 同番組に初登場ということで、まずは紀里谷監督のプロフィール紹介からスタート。小学生の頃から「学校生活が自分には合わない」と感じていた紀里谷少年は、義務教育であるはずの中学校を中退し(まさかの小卒!!)弱冠15歳足らずで単身渡米。その後独学で習得した写真技術でニューヨークを拠点に写真家として活動していたとのこと。

 2003年に宇多田ヒカルの「traveling」(東芝EMI)で、「第17回日本ゴールドディスク大賞 ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、2004年には『CASSHERN』(松竹)で映画監督デビュー。二作目に『GOEMON』(松竹)を発表し、三作目となる今回の『ラスト・ナイツ』では世界的俳優のモーガン・フリーマンを起用してハリウッド進出を果たした。

 紀里谷監督には、どうしても“宇多田ヒカルの元夫”というイメージがチラつくものの、少年期のプロフィールだけでなんだかぶっ飛んでいる印象を受けた。学校生活が自分に合わなかったからって、中坊で渡米とかワンパク過ぎるっしょ~。

デジカメは俺が日本に持ち込んだ!?

 渡米した紀里谷少年は、まず音楽にハマり、24歳くらいから写真を撮り始め、その後ミュージックビデオに携わるようになったのだとか。それにはコンピューターとの出会いが大きく、コンピューターで写真が撮れることを知ったのがきっかけでデジタルフォトを始めるようになったそうだ。紀里谷監督は当時の自分がどれほど最先端を走っていたかを示したかったのか、

「日本にデジカメを持ち込んだのは俺です」

 と豪語するも、テレビ画面には「※紀里谷氏の見解です」と、ご丁寧にテロップが貼られていた。視聴者からも「それは怪しい~!」と突っ込まれることを予見したのか、

「断言します。デジカメを普通にお仕事で使い始めたのは、僕が一番最初だと思います」

 と、さらに強気発言して譲らないのであった。まぁ、紀里谷監督よりも早くデジカメを日本に持ち込んだ人がいるかもしれないが、写真を加工したりしてデジカメをより効果的にお仕事で使うようになったのは紀里谷監督がパイオニアかもしれない……。その辺は深く追及しなくてもいいかってことで。

実は奇人変人?

 かなりの頑固っぽさを垣間見せる紀里谷監督であるが、番組スタッフの事前調査によると意外な一面が浮かび上がったとのこと。そこで「私生活がサスペンス! 紀里谷和明の奇人変人007」と題してその変人ぶりを紹介していた。

●食に全く興味なし

 紀里谷監督は基本的に食べ物は何でもいいそうで、5年くらいの間、肉や魚をずっと食べない時期もあったらしい。その時は玄米・豆腐・野菜・ジュースを主に食していて、ジュースだけで10日間過ごすこともあったとか! 今、話題の「ジュースクレンズ」っぽくてダイエット中の女子みたいじゃないっすか~。

 そんな紀里谷監督の好きな食べ物は、なんと“グミ”だそうだ。やっぱ女子~! ってか、お子ちゃま~? 現在47歳で、あのダンディズムで「グミ好き」って、ギャップありすぎ……。

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テレ川ビノ子

テレビが大好き過ぎて、頼まれてもいないのに勝手にテレビを全般的に応援しています。おもしろテレビ万歳!