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M-1で話題沸騰中・メイプル超合金のカズレーザーが学生時代「レッドさん」と呼ばれていた理由

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写真は高校時代の筆者。このあと高校にパトカーが来た

写真は高校時代の筆者。このあと高校にパトカーが来た

死にたい死にたいと書いてばかりいる僕ですが、生きていれば腹も減るしテレビだって見ます。憂鬱なことが続いていて、原稿を書く気になれず、僕は現実逃避にテレビをつけました。

すると、画面に明らかにヤバい危険人物がうつっていました。M-1グランプリ2015。トップバッターとして登場したメイプル超合金というコンビ、上から下まで赤い服を身につけた金髪の男。僕はその人のことを知っていました。目を疑い、まさか、と思いました。でも、その人はどう見ても、僕の大学時代の先輩であるレッド先輩でした。

シャアより赤いレッド先輩

10年前、大学に入学したての新入生だった僕、そのヤバい人物を見かけた日のことは今でも覚えています。赤いジャケットに赤いカットソー、赤いズボンに赤いスニーカーを履いて靴下まで赤い。髪は金髪のロン毛。筋肉質で目つきは悪い。一目見て思いました。この人と目を合わせちゃダメだ、と。

「今日昼休み、学食でヤバい人見たんですよ! とにかく、赤いんです!」

僕はサークルボックスにいた先輩に、そう興奮気味に話しました。すると、皆が珍しいことでもなんでもないというように「ああ、レッドさんだろ」と言い始めたのです。みんな、ニヤニヤ笑っていました。大学生活というのには果てしなくデタラメがまかり通る空気があって、そのとき僕は、先輩がただ冗談を言ってるのだと考えました。あんなヤバそうな人と知り合いなわけがない。「いやいや、知り合いなわけないでしょ」「お前な……今度飲み会連れてくわ」その先輩が誰だったのかも、それが何の飲み会だったのかも覚えていません。ただ、その席には確かにあのヤバい人がいました。何を喋ったのかも、あるいは何も喋らなかったのかも記憶にないのですが、それ以来僕はその人のことを、レッド先輩という固有名詞と共にはっきりと記憶にとどめました。

レッド先輩は大学内では有名な人物で、喜劇研究会というサークルに所属し、お笑いコンビを組んで漫才をやっていました。でも、そんなプロフィールを知らない人でも、「あの赤い人」としてレッド先輩のことを知らない人は少ないくらいでした。なにせ、1年365日、ずっと上から下まで赤いものを身に着けることをモットーとしているというのですから、目立ってしょうがありません。そんな設定、まるでアニメかマンガです。フィクションの世界から飛び出してきたようなレッド先輩を僕たちは、たまに待ち合わせに使うくらいでした。大学生でごった返す構内で、数百メートル離れたところからでも一目でそれとわかるレッド先輩は、渋谷のモアイ像より目立つので重宝がられました。レッド先輩はレッドと呼ばれたりレッドさんと呼ばれたりしていることの方が多かったのですが、とくに接点のない僕は畏敬を込めてレッド先輩と呼んでいました。

大げさに言えば、レッド先輩は、その頃その大学にいた一万数千人の人間にとって、大学生活のシンボルでした。怠惰で支離滅裂で先の見えないダラダラとした日々を象徴する、灯台のような存在。僕たちは、はぐれて道に迷うとレッド先輩を目指して歩き、ようやく落ち合うことが出来てはホッとする、そんな毎日を送っていました。

でも、ある時期からレッド先輩を見かけなくなりました。考えてみれば当然で、レッド先輩は先輩なのだから僕より先に卒業してしまっただけのことだったのですが。その後どうしてるのかという噂を僕が耳にすることはありませんでした。

そのうち僕も大学を卒業して、上京し働くことになりました。やりたかったことと、何ら関係のない仕事に従事する自分に、どこか不本意な気持ちを抱きながらも、僕は3年働きました。それから、えいや、という気持ちで会社を辞めました。小説を書くのが夢で。死んでもいいから小説が書きたかった。それに集中したいという思いが強かった。無職になった僕は、他に何をするでもなく東京でブラブラしていました。

ある日、後輩が転職活動のために地方から上京してきました。泊めることになり、金もないので宅飲み、僕の部屋で缶ビールを飲んでいると、突然彼が興奮したように話し始めました。まるで、あの日の僕のように。

「新宿で、レッド先輩を見たんですよ!」

僕は……数年ぶりに耳にする懐かしいレッド先輩という固有名詞が、かなりツボに入って、爆笑してしまいました。後輩によれば、大勢の人がいる交差点の向こうから、全身赤の男が歩いてきた、それは良く見るとレッド先輩だった、というのです。

レッド先輩は、今でも赤いんだ。東京でも、ずっと赤いんだ。

そう思うと、笑った後に何故だか泣きそうな気持ちになりました。それから月日が過ぎて、そんな気持ちも、僕はいつしか忘れてしまいました。

そして今。

テレビの前にレッド先輩が立っていました。僕は信じられない思いでした。今も、お笑いを続けていたのも、知らなかった。ネタは面白かった。客席もウケていたと思います。でも内容は全く頭に入ってきませんでした。ただ、ガツンと殴られたような衝撃だけが頭に響いていました。

レッド先輩は今も全身赤い服を着ていました。この10年、どんな時もずっと赤い服を着続けてきたであろうレッド先輩の日々を想像すると、僕はなんだか恐ろしくてたまらない気持ちになりました。

なんて凄いんだ。なんて偉大なんだ。

そして自分の迷いだらけの人生を振り返って、一気に恥ずかしくなりました。レッド先輩を見ていると、10代の自分に告発されているような気持ちになりました。

慌てて、メイプル超合金で検索してWikipediaを見ると、レッド先輩は今はカズレーザーという芸名で活動してるとのことでした。そこで僕はかなり久しぶりに、10代の頃に最初に抱いた印象を思い出しました。レッドさんって……そういう名前のお笑い芸人、既にいるやん。

レッド先輩がこれから活躍し、テレビでその姿を見るたびに、僕はたまらない気持ちになるんだろうと思います。

とりあえず働き出してはみたものの、今の僕は「働きたくない!」ってこの連載をスタートした頃の自分より、随分矛盾をはらんでいるし、迷走している感じがします。どこか二本も三本も筋が通っていない感じ。何か問題を先送りして、目を背けているのです。そして、死にたい死にたいと書くことで、僕は生きることから目を背けているのかもしれません。

一度は夢を諦めて就職したかと思えば、会社を辞めて3年小説を書き続け、しかしデビューは出来ず、今では就職活動の資金を貯めるためにバイトをしている……。僕には、今の自分を正当化する理屈や物語が何も浮かびません。ただただ、ダサくてカッコ悪い。

それでも……僕が、なんだかんだと叩かれながらも書いているのは、もの凄く稚拙な言い方をすると、生きる理由が知りたいからです。

最後に何を相談するかも、だから決まっています。

それまでは、生きよう。とりあえず、そう、思います。

奥山村人

1987年生まれ。京都在住。口癖は「死にたい」で、よく人から言われる言葉は「いつ死ぬの?」。

@dame_murahito

http://d.hatena.ne.jp/murahito/