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あいのり桃がアピールする「凡庸と努力」こそがアンチを生んでいる

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 アイドルのように、容姿がひとつの商品価値となる職業の場合は、「みんなにかわいいと認めてもらいたい」という欲望をオープンにすることが、「素直で嘘をつかない感じで良い」と好意的に受け取られることも多いですが、大学のミスコンや女子アナといった、「あくまで一般人・社会人・勤め人ですよ」という大義名分がある場合には、「みんなにかわいいと認めてもらいたい」との欲望をオープンにすることは、なぜかタブーとされています(個人的には、「ミスコンで優勝するために、まず、組織票を投入してもらえそうなサークルに入りました」みたいなことを言うミスコン候補者がいたら応援したくなるのですが)。

 「あくまで一般人・社会人・勤め人ですよ」「私は普通の人ですよ」という大義名分がある場合は、そうでない場合よりも、「謙遜」がより規範化され、「謙遜」が規範化されている空間ほど、評価において「努力点」の比重が上がりやすいように思います。

 「努力点」とはつまり、「毎日頑張っています」「一生懸命努力します」などの、結果とは直接関係ないカテゴリであり、中学校の成績で言うところの、「テストの点数」ではない、「関心・意欲・態度」の評価に相当します。

 話をあいのりの桃に戻すと、桃は、「有名な一般人」というカテゴリに属する人であり、「普通であること」を売りにしています。

 彼女がスッピンを披露する予定の仕事で、「スッピンを見せたくない」と撮影中に号泣したため撮影が中断したというエピソードが演出であれ事実であれ、それは、「プロ意識の無さ=凡庸性」のアピールであり、泣くほどスッピンの顔が嫌なのに、「“半顔メイク”という、(泣くほど嫌な)スッピンとメイク後の落差を強調すること」を繰り返し披露していることは、「美容整形せずに、毎日時間をかけてケアしながら頑張る」という「努力点」のアピールに他ならないのです。

 彼女のファンの多くは、彼女のそうした、「普通であること」や「ひたむきに努力する姿勢」に共感する人たちであるのではないでしょうか。

整形はいけないことだからメイクを頑張る、という保守性

 「半顔メイク」や「整形メイク」といったものは、いつも、「美容整形には頼らない」という姿勢を強調するあまり、メイクにかかる時間(=コスト)を蔑ろにしすぎです。美容整形を施した人の整形理由に、「普段のメイクにかかる時間を短縮したい」というものは結構多いのに、こうした動機はあまり顧みられません。

 「半顔メイク」や「整形メイク」を紹介する時に、【美容整形すれば10分でできるメイクと、整形メイクで40分かかるメイクが同じ完成形だった場合、どちらを選ぶのか?】というコストパフォーマンス的視点がないのは、「半顔メイク」や「整形メイク」自体が、「美容整形はしたくない(いけない)」、「手間隙かけて努力することは良いことである」という二つの保守的な価値観のもとで賞賛されているからではないでしょうか。

 世間ではまだまだ、「化粧の時間を短縮したいから整形する!」や「早起きしてまで化粧するのが面倒だからスッピンで行動」よりも、「朝早く起きて手間隙かけてお化粧している」ということが良いことだと思われているのではないでしょうか?

 そうです、あいのりの桃自体が、「普通であること」「努力点のアピール」で「共感」を得ることによってファンの心をつかみ、「普通であることや努力アピールをする割には、言動と行動の不一致が目立つ……」とツッコミを入れたいアンチの心をつかんでいるのですから、アンチの「人妻なんだから出歩くな」「旦那いるのに遊びすぎ」といった保守的すぎるツッコミは、そのままの意味にとってはいけないのです。

 あいのり桃アンチの「人妻なんだから出歩くな」「旦那いるのに遊びすぎ」という言葉には、「良い人妻・ひたむきに努力する私アピール(保守的な価値観に働きかけるもの)で商売しているのに、全然保守的な行動ができていませんよねえ?」というイヤミの意味合いが強いのではないでしょうか。

 あいのり桃アンチの発言は確かに保守的ですが、桃がおこなってきた「保守的な普通さ」アピールへの意趣返しとしての保守的な発言であり、ねじれた「保守批判」でもあるように思います。

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