「社会の窓」って言い方は、女のチャックに使えるのかな?――お手入れしたらしたで“ビッチ”扱いされ、お手入れしないならしないで“だらしない女”扱いされる不思議なパーツ、まんこ。人類がまんこに加えてきた、美白・脱毛・装飾などなどの“まんこカスタマイズ”の歴史をふりかえる連載、今回は「まんこに毒を仕込む女たち」のお話です。(連載・全10回予定)
中世フランスの媚薬は、○○の毒でできていた!?
SMのSのほう、「サディズム」の語源となったことで知られる、元祖ドSの人・サド伯爵。
彼は18世紀フランスに実在した貴族ですが、一度バスチーユの牢獄に入れられています(1)。容疑はいろいろありましたが、中でもちょっと見過ごせないのがこちらです。
「プレイ後に相手の女性が亡くなった」
いったい何をしたんだサド伯爵、っていう感じですが、原因は当時の未熟な医学にありました。スペインバエという虫の持つ毒に、熱感・血流増加作用があったことから、「この虫の毒を使えばまんこが熱く感じやすくなる!!」と、中世フランスで媚薬として大人気だったのです(2)。
スペインバエの毒は「パスティーユ・ドゥ・リシュリュー」なんていう、オシャレな洋菓子みたいな名前で呼ばれていました。この「パスティーユ・ドゥ(以下略)」を、サド伯爵が相手の女性に使わせた結果、致死量を超えてしまい死亡事故に至った……というわけです。
そうです、“死亡事故”です。裁判の結果、「サド伯爵には女性を殺すつもりはなかった」という判決が下されました。よって、数百年前にフランスで起こったこの件は、死亡事故だということにされているわけですが……どうでしょうね。
サド伯爵が貴族であったのに対し、相手の女性が社会的に弱い立場の娼婦であったことを考えると、私はこれが公平な裁判だったのかどうかも疑ってしまいます。「そもそも金にモノを言わせて他人に変なもん飲まてせる時点でアウトじゃね」、と。
こういうことが起こっていたのは、フランスだけではありません。
昔の日本にも、やむをえない事情でまんこに毒を仕込まなければならない人々がいました。