さて、前回は「男らしさって何?」という質問をしていました。では早速、コメントを読んでいきましょう!
・男は狩りをして何万年も過ごしてきたので狩猟の習性が残されているといいます。本来の男は「ヤベッ」と思ったら逃げるようにできています。それでこそ生き延びてこられたわけです。
・精神的にも、自分に欠けている視点を教えてもらうと、私なんかは夫の存在を有り難く思います。彼女がそのとき抱えていた不安を埋めて欲しかったのではないのでしょうか。
・「別に普通の事をわざわざ他人に伝える。我が身を削ってまで記事にしてる事が今の世では“男らしさ”になる…」って事でいかがでしょうか。
・男らしさってその人についていきたい、守ってもらいたいって思われることじゃない?
・男らしさとは…… 見栄とやせ我慢らしいです
・「男らしさ」という言葉じりにとらわれず、本質は何であるか、行動原理は何なのか、バックグラウンドにあるものは何なのか、それらを模索する(考えるだけで良い)と、何かが見えてくるのではないかなー? と思います。
・「男らしい」は人によって色々です。気にするべきは、その前の言葉、「愚痴ばっかりで」とか「心が狭くて」とか何かあったんじゃないでしょうか?そこを直せばいいと思います。
男らしさみたいなものは関係なくて、もっと僕の本質的な部分に問題があるのではないか、というご指摘が多かったです。
たしかに。そういうことなのかもしれません。僕は男らしさとは何なのか、などと考えることで本質から目を逸らし……ってまぁそりゃそうなんですけどね。
しかしこう、男らしさなんてどうでもいいよ、みたいなコメントばかりに囲まれると、それはそれで拍子抜けするものがありました。男らしくなんてなりたくない、と言っていた僕ですが、もしかして、深層心理では男らしくなることを望んでいたのかもしれません。コンプレックスの裏返しとして。
今までの僕の人生、振り返って見ても、異性からロクな評価をもらったことがありません。フラれるときだけでなく、セフレからすら「男として見れない」と言われる始末です。
でも、現実でも、「男らしさって何」って聞いても結局スルーされるし、それでも例えば僕が誰かに告白してもどうせまた「男として見れないの」とか言われてしまうんですよ。じゃあ結局僕はどうしたら異性としてみてもらえるようになるのでしょうか?
僕が聞きたいのはそういうことなんです。「じゃあぶっちゃけ、アンタら僕と付き合えますか? 無理でしょう? でも、なんで無理なんですか?」っていうことなんですよ!(絶叫)
そうそう、連載が始まる前の僕の目論見だと、この連載で僕は一躍人気者に、女性ファンからのメール(写メつき)がばんばん舞い込み、モテてモテてしょうがない……そんな甘い夢を見ていたのですが、現実は見るも無残なことに。コメント欄では相談内容を無視され、とにかく叩かれまくり、働いても働かなくても何をやっても叩かれる……。
……というか、ここまで書いてきて致命的な問題に気がつきました。そう、ミョンちゃんが遠くへ去ってしまった今、僕は男らしさをアピールする対象をすっかり見失ってしまっているのです。そして相変わらず、ぐじぐじぐじぐじと悩んでばかり……。
しかし、僕の問題が「男らしさ」じゃないとしたら、それはもっといよいよ、なんていうか、つらい。
ここまで考えてきて一つわかったことがあります。どうやら、僕が考えていた「男らしさ」には大まかに分けて「モテ」と「モテ以外」が存在するのです。そして、みなさんに「モテ以外」の男らしさをマジレスされて、なんか狼狽している、と。
モテは男らしさじゃない
なんだか自分でも、随分と入り組んで屈折した感情ですが、どうやら僕はそう考えているようです。モテたい、って感情を「男らしさ」に仮託してたのに、「モテ以外」の男らしさを提示されて狼狽しているのです。
僕の発想のベースはどこまでいっても「独身男」なのかもしれません。大げさに言えば、「夫」として、「父」として、そういった視点が欠けている。じゃあ、「モテ以外」って何なのか。異性関係の入り口としての「モテ」だけじゃなくて、継続的永続的に関係を結んでいく「パートナー」としての「男らしさ」もあるわけです。
そのへん、僕は「失格」なのかもしれません。
よく、恋愛が長続きしない奴っていますよね? 僕の友人もわりとそういう奴が多いのですが、短期的な性愛関係を築くのは不得手じゃなくても、恋愛関係を何年も続けることが出来ない奴。
僕もそうなんです。
ミョンちゃんとは、かれこれ8年くらい、すったもんだの関係が続いていますが、それも別れたりくっついたりの繰り返しでかなり断続的です。きちんと付き合ってた期間なんて、ほとんどないようなものです。で、いつも言われるんです。
ミョンちゃん「奥山くんって、一年くらい会わないでいて、たまに会うと好きになるんだけど、ずっと一緒にいると『苦痛』なんだよね」
その『苦痛』の原因は何だったのでしょうか?
例えば……「どうすればいい?」「どこ行きたい?」「何食べたい?」僕は滅茶苦茶、優柔不断で、なんでもミョンちゃんに判断を委ねるようなところがありました。それは決断して失敗するのが怖かったから。それも彼女の苦痛の一端だったのでしょう。「あれ食べよう」「あそこ行こう」「こうしよう」って、もっと言えば良かった。
・彼女がそのとき抱えていた不安を埋めて欲しかったのではないのでしょうか。
そして彼女の不安から目を背けて、自分自身の不安にばかり目がいっていた。寝ても覚めても自分のことばっかりで。「僕は間違ってない」ということしか言わなかった。僕の理屈の中で僕が間違っていないなんて、当たり前です。問題は、僕が間違ってると彼女が感じてる原因を理解するべきだった。そのことに僕は全然気がつかなかった。
僕に「モテ以外」のパートナーとしての「男らしさ」が欠けていたせいなのかもしれません。
今回皆さんのアドバイスを読んで、色々考えてみたら、意外と問題点がすっきりわかってきました。大事なのは「モテ」じゃないんです。「モテ」のあとに続く、「日常」をサバイブしてく「男らしさ」が僕には欠けている……。
・男らしさとは……見栄とやせ我慢らしいです
なるほど、見栄とやせ我慢か。大事ですよね。最近寒い日が続いていたので、異様に厚着をしていた……というか禁断のアウター重ね着に手を出していた僕ですが、これも男らしくない気がする。自分を甘やかして、体温調節機能が麻痺してるような気がします。僕は、ふぁさっとコートを一枚脱いで町を歩きました。そしていとも簡単に風邪を引きました!
風邪、二週間たっても治りません。一旦治ったハズがむしろこじらせて悪化してる気さえします。やせ我慢して病院に行かなかったのも良くなかった。風邪が二週間治らないってだいぶ男らしくない気がする……って、僕はアホなんでしょうか!?
結局部屋の中でダウンコートを着て布団にくるまってうずくまり、震える手で今もこの原稿を書いてます。こんなんじゃ……こんなんじゃダメだよぅ。誰もついてこないし、誰も守れない……。タフな男は風邪くらいでビクついてちゃダメなんだ……。
理想はレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説に出てくる探偵フィリップ・マーロウです。「If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t deserve to be alive.」という有名な台詞は、色んな風に訳されています。一番有名な訳は、「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」、どこかで聞いたことがあるんじゃないでしょうか。生きていくためのタフさを身につけないと。でもそんなの、一朝一夕に身につくものでもありません。
ともかく、風邪くらいで寝込んでる場合じゃない……。風邪くらいで、原稿のクオリティを落としてる場合じゃない……。
いやいや、ここで一瞬「脱げば全てが解決する」って悪魔のささやきが耳元で木霊し始めましたからね。かなり酷い学生ノリです。トップに掲載する用に、全裸の画像を編集部に送りつけようとして、さすがに思いとどまりました。撮影するにはしたけど……僕ってやっぱりアホなのかもしれません……そしてそんな自分が好きなのかも……救いようが、ない。
強くなきゃ、生きていけない。弱くなきゃ、生きてる意味がない
でもよく考えたら、「タフ」であることって、パートナーに求めることって、「男」固有の問題じゃありません。変に「男」に固執するようなことじゃない。
・「男らしさ」という言葉じりにとらわれず、本質は何であるか
を見失ってはいけない、ということなのでしょう。僕は多分、「強さ」を「男らしさ」と、「弱さ」を「女らしさ」と考えて、「弱さ」に重きを置いていたのだと思います。そして「強さ」に恐怖し、「弱い」自分に留まることをよしとしていた。そして、未分化な自分に浸っていたかった。「強さ」で人を傷つけ、傷つけられることが怖かったのです。
「やせ我慢」という言葉に象徴されるように、世間一般の「男らしい」イメージというのは、何かを得るかわりに代償として何かを失うようなものが多いと感じます。例えば、力強くリードする、というのは、リスクを引き受けるというのとバーターです。それでも、その強さが必要になるときがあり、そのしんどさを誰かが引き受けなきゃいけないときがある。
「強くないこと」は人を傷つけないのでしょうか?
そんなことはありません。僕は後先考えず会社を辞めて、ミョンちゃんや両親、その他色んな人を傷つけたと思います。それでも優先したいことはあったけど。そこに、経済的自立という「強さ」は皆無でした。だから人を傷つけた。
「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては、生きている資格はない」
だから僕はもう一回チャンドラーの言葉を思い出して、やり直そうと思います。こいつは頼りになるな、一緒にいたいな、そう思ってもらえるように。それは恋人だけじゃなくて、友人や家族や、一緒に働く同僚など、全ての人にそう思われるように。
そして連載が終了する頃には、「無職、強くなったね」と言ってもらえるように、頑張ります。