アダルトチルドレンじゃないのか
18日には、母娘別居騒動を受けて別居後の暮らしぶりに密着した『ノンストップ!』(フジテレビ系)が放送された。VTRは題して【梅宮アンナが「育児放棄」との批判を否定 娘との関係や私生活を語る】。百々果さんも登場している。現在は週3日くらい会っているそうで、
百々果さん「前はずーっと会えないこともあって、淋しかったです。でもその時は2人で喋って(=話し合いをして)……うん、それからはよくなった」
ずーっと会えなかった時期とは、アンナが山形県在住の男性と3年にわたって不倫していた時期のことだろうか。それとも昨年、アンナはアメリカ一人旅をしていたが、その時期か。どちらでもいいが、とりあえず百々果さんは淋しかったのか……。これに対してアンナは、
アンナ「本当に全然完璧なお母さんではないから申し訳ないなって思うんだけど。お弁当作るお母さん凄いと思うのね。自分ができないから。私は聞いたんですよ百々果に、お弁当作らなきゃいけないですかって。そしたら百々果は『興味ないから』って。子どもにどうしたいか聞けばいいとわかった」
おいおい、子供の言葉を真に受けちゃっている。そこはたぶん、「あっ、娘に気を遣わせちゃったな」と気付いて反省する場面だ。百々果さんは、かつて親子で出演した番組で、西村知美の娘が「ママが作ってくれるごはんが美味しい」と話したときに「そういうの夢。私は作ってもらったことがない」と漏らしていたことがある。アンナは娘との関係を「29歳差の姉妹みたい。なんでも本音で言い合える対等な存在。親友のような良いパートナー。恋愛の話もお仕事の話も相談できる相手」と誇るが、しかし、娘が母親になんでも本音を伝えていると心から信じ込んでいるのだろうか? だとしたら相当、おめでたい。
アンナは『ノンストップ!』VTRで、次のような話もした。
アンナ「お付き合いしていた人がいて、妻帯者じゃないという言葉を信じてやってきたけれど、真実じゃなかったんだよね」
このときまっさきに相手の男性の異変に気付いたのは長女だった。
アンナ「百々果に『あの人、なんか変じゃない?』と言われた。なんで?ときいたら『だって挨拶とかしてこない』と。今思えば彼が後ろめたいものがあったからっていう。子供の純粋な見方は間違ってないんだよね。精神的に一番大人なのはたぶん梅宮家の中で百々果だと思う」
いやいや、それは、アダルトチルドレンじゃあないのか。だが、辰夫もクラウディアも、おそらくそのことに気がついていない。クラウディアもVTRに登場し、「本当はアンナが早く結婚でもして仕事もやめて専業主婦として百々果の養育をしてほしいけど、結婚はもう無理だわね」と笑った。いやいやそれも違うだろう。アンナは結婚はしたがっているかもしれないが、専業主婦は絶対にやりたがっていない。彼女の望んでいるのはおそらく専業主婦ではなくて、愛する夫と可愛い娘、優秀なハウスキーパーを雇える裕福な生活、そしてモデルとしての充実だと思う。なんだか登場人物、すなわち梅宮家の全員が、見事なまでにすれちがっているように見えるのは私だけだろうか。
アンナ「型破りだし普通じゃないって言われたらそうなんだけども、少なくとも人それぞれ生き方があって家族の形もふたつとして同じものはない。梅宮家が不幸かっていったら不幸じゃないんだよね。人それぞれだからさ、その人にはその人の生き方がある」
VTRはこうやってまとめられた。確かに彼らは裕福で、家族間の愛情もあって、不幸では決してない。アンナの生き方を否定はしないが、しかし果たして、本当にこのままでいいものだろうか。
辰夫とクラウディアがやるべきこと
誰でも分娩直後からすぐに「成熟した親」にはなれない。未熟ながらも、しかし親になった以上は重い責任が生じることを理解し、大人になろう、成熟しようと努める必要がある。もちろんアンナもその努力はしたのかもしれない。そして「子育てをしているとストレスがたまる」という彼女の言い分ももちろんわかる。当たり前のことだからだ。でも、ストレスがたまる→子供と大喧嘩を繰り返す、これは違う。
アンナは、「私は完璧な親じゃない、でも私たち家族は幸せ」と言う。完璧な親でありたい気持ちと、そうではない現実を突きつけられる毎日に心を病んでしまう親もいる。だから「私は完璧じゃない、でも大丈夫」と思えることは重要だ。その一方で、アンナの場合は、もう少し大人に成長する必要があるのではないか。今の彼女がいくらモデルとして誌面や広告に出ても、あるいはエッセイやコラムで一般女性に自身の価値観やライフスタイルを説いても、まるで魅力がない。つまり訴求力がない。今のアンナは、40代の小娘である。
辰夫とクラウディアは、40代になった娘の成熟のためにも、思春期の孫の成長のためにも、アンナと百々果さんを向き合わせるべく力を注ぐべきなのではないかと思う。彼らもまた親であり、子育ての道半ばなのかもしれない。
(清水美早紀)