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『家、ついて行ってイイですか?』と芥川賞作家・羽田圭介にみる混沌と多様な人生の肯定

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主体的に生きられる場所を探すきっかけになる

28歳女性の話を聞きながらふと思った。この番組は日本中で見ることができるんだろうか? と。調べてみたところ、地方の放送局でも放映されているようだ。

以前、山内マリコさんの『アズミハルコは行方不明』(幻冬舎)を読んだ際、地方(郊外)の若者が抱く閉塞感を改めて感じた(ここでいう郊外とは、ショッピングモールが幹線道路沿いに並ぶようなファスト風土化した都市のこと)。女性はそこそこの年齢になれば、結婚、出産して当たり前。育児が落ち着いたと思ったら、今度は介護要員。それを“当然のレール”とする不文律が存在する。皆が皆、そういう考え方の持ち主とは言わない。でも、そういう空気は確かにあって、それは都会よりもはるかに濃い。私自身が地方都市出身なので、その空気は肌で感じていた。

もちろん、そういうレール通りの生き方が女性本人にとって自然で、幸せだと思えるならなんの問題もない。住み慣れた地縁社会の中で家庭に入り、子供を育てていくのも、文句なく幸せな人生だと思う。

ただもし、「生きづらい」「なんか違う」と感じながらレールの上を歩いている――そんな自覚があるなら、ぜひこの番組を見てほしいと思う。そして自分がどういう人生を歩みたいかを考える取っ掛かりにしてほしい。閉塞感をぶち破るには、今いる場所で不文律を吹き飛ばすべく頑張るのも良いし、もしくは大都市に出てしまうのもひとつの手だ。多種多様な人がいて、群衆に紛れられるぶん、“レール”への同調圧力は大都市の方が相対的にゆるい。懐が深い、と言い換えてもいいかもしれない。

酸いも甘いも映す徹底したリアリティと、その根底にあるもの

実際、地方から東京近郊に出てきた人も番組には多く出ている。

ここで重要なポイントは、そういった人々が皆、必ずしも順風満帆楽しい都会ライフを送っているわけではないことを、この番組がきちんと伝えていることだ。「都会に来ちゃえばオールオッケー!」みたいな描き方は決してしない。

もちろん夢や目標を達成した人もいるが、達成しようともがいている最中の人、もがき続けて実らず早10年苦しんでいる人、夢すら見つからずなんとなくフラフラ生きている人……。それらをすべて“いい話”風に無理やりまとめず、グダグダな暮らしはグダグダなまま、どーしよーもない奴はどーしよーもないまま描く。

自由は孤独や不安と背中合わせであること、自分の好きなように生きるなら、おかした間違いの落とし前はすべて自分でつけないといけないこと。そうした良い面も悪い面も包み隠さず伝える徹底したリアリティにこそ、こういった“市井の人”出演型番組の醍醐味がある。都会のふところの深さと厳しさの両面を映したうえで、「いろんな人がいて、いいことも悪いこともあるよね。それでも人生は捨てたもんじゃない」と、視聴者に肯定的に語りかけている気がする。

芥川賞作家の思いと、番組に共通するメッセージとは

『情熱大陸』(TBS)で芥川賞作家・羽田圭介さんが、「小説には人を救う力だってあるはずだ。」と話していた。「華やかな人生モデルに乗れず焦り、同調圧力の中で息苦しく感じている人はきっと多い。多様性が確保されている小説の世界の中で、人間が立ち止まったり混沌に足を突っ込んだりする姿を描くことで、『こんな混沌とした絵にもならない考え方があるんだ』ってことを知って、“心の抜け”を感じてほしい」と。

そういわれてみると、羽田さんの描く人物は大抵どこか変わっている。SMにとんでもなくストイックにのめりこんでみたり、恋人間で執拗に携帯メールを覗き見しあう日々を送ったり、“普通”じゃない。それでも、作者から彼らへの目線は温かい。シニカルに描くことはあっても、決して否定はしないのだ。

羽田さんの信条は、『家、ついて行ってイイですか?』を見て私が感じたことと通じる気がする。王道でなくても、レールから外れていても、どっこいたくましく生きる人間へのエールのようなもの。混沌を伝えることによる、多様性の示唆と人生への肯定。

テレビ番組に小説、生き方のヒントはどこに転がっているかわからない。

ちなみに、番組では出演者の話が山場に差し掛かると、BGMでビートルズのLet It Beがかかる。

「自分だったら何を話して、どこでビートルズ流れるかなぁ」なんて妄想も、バカらしいようで、自分の暮らしや、過去、現在、これからに向けて考えていることの棚卸し作業になる。オススメである。
(吉原由梨)

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