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人様に向けた刃が、己の背中を容赦なく刺す ~『女の解体 nagako’s self contradiction』上梓にあたって

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林永子

『女の解体 nagako’s self contradiction』

 本サイトmessyにて、2013年6月から2年間、全100回にわたって週連載されたコラム『ナガコナーバス人間考察』より、一冊の書籍が誕生しました。タイトルは装いを新たに『女の解体 nagako’s self contradiction』。3月4日の発売に伴い、著者、林永子(はやし・ながこ)による執筆後記を掲載いたします。

人間は全員別人である

 自分の目に映る他者とは「自分の脳を通過した、脳が自分に見せる他者像α」に他ならない。その見え方が、他者本人の事実と完全に合致することはない。よって、他者と他者像αに隔たりがあることを私たちは承知しておく必要がある。他者=他者像αであるとする誤解ゆえの、残念なすれ違いは至るところで発生している。

 自分の思い通りに言動する他者など、この世には一人たりとも存在しない。だから、人間には異なる他者を慮る想像力や、理解しようと努める能動的な愛情が必要となる。もっとも、他者ゆえに、その思考回路、感性を完全にトレースすることは容易ではない。たとえ理解したとしても、乗れない言動もいくらでもある。そんな時には自分は自分、他人は他人と割り切る清潔な距離感を維持し、無闇矢鱈と他人事に干渉しないよう努めることも重要である。

 その際、最も肝心なものは、揺るぎない「自己」の土台であると、私は考える。

 身だしなみ同様、まずは「自己」を整えることで、コミュニケーションは潤滑になる。無駄に誰かを憎む必要もなくなる。利己的な自己はとかく迷惑な代物だが、自分で自分を引き受ける種の厳しい自己認識は、人間関係を健全に保つためにも有効かつ合理的な役割を担ってくれるのだ。

弱い犬ほどよく吠える

 さて。上記、「自己推し」の持論を展開する私自身の「自己」はどうか。

 書籍化にあたり、全100回に渡って記したコラム『ナガコナーバス人間考察』を読み返してみたところ、私こそが「衝突を完全に他人のせいにしている者」であるという矛盾に遭遇し、肝が冷えた。語気の強さや乱暴な物言いも、我ながら鼻につく。なんだかいつも、怒っている。それは、私の「自己」を蔑ろにする者や大嫌いな同調圧力に抵抗する強いエネルギーの現出だったのだろう。振り返ってみれば、対象が悪いこともあれば、私が悪いところもあり、どっちも悪くないのにタイミングが悪いこともあったりと、様々なケースが散見される。

 私の自己認識力はとても強いものだと思っていたが、それははりぼての攻撃的防御ではないか。強い言動で自らを守らなければ生きていけないくらいに、脆弱なのではないか。いうなれば、「弱い犬ほどよく吠える」。臆病で、意地悪で、見栄っ張りで、自己弁護的で、陶酔的な私の自己こそが、利己的なのではないか。

 このまま、本コラムの抜粋を書籍化するわけにはいかない。そう考えるや否や、今いちど内容を精査。一つ一つの言説にまつわる状況をばらばらに解体し、俯瞰で眺め、「これは、他者への純然たる文句で然るべき」「これは自己の問題」「ただの悪口」などなど整理したうえで再構築を試みるという、途方もない実験に明け暮れること、半年。

 そんな己の解体思考を主題とした書籍が、三月四日に発売されるエッセイ『女の解体 Nagako’s self contradiction』である。エッセイというよりは、うっかり「自分暴き」の様相を呈するに至った、思索の旅の記録といった方が適切かもしれない。

自己を容赦なく暴く

 本書にて、私は「自己を盛大に誇り、容赦なく暴く」。

 巷では「自意識」と来ると「こじらせ」「過剰」と揶揄されるわけだが、自意識ごとき過剰だろうが、希薄だろうが、人間誰もに搭載されているデフォルトの意識であり、下手に茶化すからこじれる。

 他者の目を気にしたり、自分とは全然関係のない話を聞いて自分のことを言われているのではないかと気を揉んだりする状況を「自意識過剰」というが、誰になんと言われようが、思われようが、私は私であるという強い信念を持つ真性自意識過剰者である当方にいわせれば、他者の目に映る自分αを気にする者の自意識は「希薄」である。

 私は己を、他者評価の目には預けない。自分に嘘はつかない。己ごとき、自分で誇る。誇るに値する人間になるためにも、まずは揺るぎない自己を整える。その際、最良の土台を作るにあたり、せっせと鍬を入れ、己を耕す。そうすると、害悪でしかない弱点やら、しょうもない矛盾やら、これまで見て来なかった(見ないふりをしていた)内容物がいくらでも出て来る。凝視するのもしんどいが、それもまた私の大切な自己。弱さも醜さも認めて、引き受けるという作業をもって、私は、本質的な意味で、今よりずっと、強くなる。

 「おまえの自己など興味ない」と叱られることうけあいだが、本書をもし読んでくださる方がいらっしゃるようなら、私の自己はさておき、ぜひ、ご自分自身の自己について何を思うかを、自分に寄り添いながらご一読願えれば光栄である。私はうっかり暴いちゃったが、ご自分だったらどうするか。自分の価値観における自他の距離感とは、などなど、内省のきっかけとなってくれたらとても嬉しい。

【型】より自己を尊重する

 多様化社会の現在。

 男女の役割の【型】はとっくに崩壊している。他方、分かりやすいものを、分かりやすく消費するシステムに甘んじるあまりに、結局のところ、全員別人であるはずの個人を【型】【役割】【系】【キャラ】等の空疎なシンボルに埋没させる傾向は健在だ。

 個々の人格、いわくそれぞれの自己が、蔑ろにされてはいないか。多様化社会とは、分からないもの、異なるもの、複雑なものが、有象無象とばかりに共生する、豊かな土壌を差すのではないか。だからこそ、人間には、自分とは異なる他者の自己を尊重するための愛が必要ではないのか。

 そう簡単に、どこの誰が作ったのかもわからない【型】に嵌められてたまるか。自分にフィットしない【型】など、壊してしまえ。【型】より自己を尊重しろ。自分を真面目に信じ、信じるに値するまで厳しく愛せ。自分を甘やかす者に、他者は厳しい。自分を愛さない者は、誰をも愛せない。敵は己のみ!

 と、本書および本稿にて、我ながら呆れるほどの分量の「自」の字をタイピングし続けた結果、パソコンのキーボードのjとiが取れかかっている女の初エッセイ、多くのみなさまにご愛読いただけることを心より祈っている今日この頃。最後に、より多くの「自己」が、真に幸福でありますように。

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林永子初エッセイ『女の解体 nagako’s self contradiction』発売記念パーティー〜一夜限りの大復活『スナック永子』!@六本木SuperDeluxe

開場 20:00 / 開演 20:00
料金 1500円 (1D付)

@六本木SuperDeluxe

クリエイター大集合のハイブリッド宴会、スナック永子の終宴より早2年半……。

永子ママが著書を携えてスーパーデラックスに帰還! その初エッセイ『女の解体』(サイゾー)発売記念パーティー開催とともに、スナック永子が一夜限りの大復活を果たします!

トークあり! DJあり! VJあり! ライブあり! 面白映像あり!
豪華メンバーが大集結する狂乱の祭! お誘い合わせのうえ、どなたさまもお気軽にお越しください!

https://www.super-deluxe.com/room/4081/
http://nagako.tumblr.com/post/139786002112

20:00 open 物販&サイン会

20:30 〜 21:30 『女の解体』発売記念トークイベント
林永子×しQちゃん×AR三兄弟

発売記念トークのゲストは、なんと! 林永子がコラムを連載していたWEBマガジン『messy』の公式ゆるキャラ、子宮の妖精『しQちゃん』がリアルに降臨! 巨大な妖精と永子ママの奇天烈トークに華を添えるべく、スナック永子には欠かせない盟友AR三兄弟も緊急参戦! 人間離れしたスペシャルトーク、乞うご期待!

◆一夜限りの大復活『スナック永子』

22:00 〜 25:00
DJ:ヴィーナス・カワムラユキ(しぶや花魁)、Sakiko Osawa(OIRAN MUSIC)、佐々木亨、Watusi(COLDFEET) and more
VJ:冠木佐和子、CAVIAR、ケンケン&マッキー(大澤健太郎 and 牧野惇)、橋本麦、浜根玲奈 and more

LIVE:寺田創一 House Set

林永子

1974年、東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒業後、映像制作会社に勤務。日本のMV監督の上映展プロデュースを経て、MVライターとして独立。以降、サロンイベント『スナック永子』主宰、映像作品の上映展、執筆、ストリーミングサイトの設立等を手がける。現在はコラムニストとしても活動中。初エッセイ集『女の解体 Nagako’s self contradiction』(サイゾー)を2016年3月に上梓。