「セクシー女優」と「AV女優」
以前、私はTwitterで論争したことがあります。「まなつんは間違いなく頭いいね。それだけに安易にAV女優という道を選んで、人生を崩壊させたことが残念でなりません」というリプ(メッセージ)をいただいたからです。私がそれに対して「『人生を崩壊』とまで断言してしまう、“あなただけの視野で見ている世界”が残念でなりません」と返したんですよね。けっこう考えて返事をしたんですけど、凍てつくような言葉の槍があらゆる角度から降りかかってきたので、それ以降は胸の中で消化するようにしています……。
「AV業界にとって、偏見こそが職業としての価値を生む」という、なんとも奥深い意見もありますが、この「AV出演=人生崩壊」というイメージを払拭できたら、どれだけめんどくさい意見を回避することができるか。
ネットやテレビでの「セクシー女優」という表記も、なんともむず痒いのです。小さな子供への影響とか、「AV女優」と表記することでクレームはたっぷりあるかと思いますが、そもそもクレームをひとつも生み出さない事柄なんてあるのでしょうか? いつしか子供だって大人になるわけで、性に目覚めるわけです。心理衛生的に良くないと言われても、目の前にスマホがあれば子供だっていじってしまうし、これだけネットが普及した現代では、もう何も隠すことなんて出来ないんじゃないかとすら思います。どんなメディアでも潔く「AV女優」と表記され、呼ばれる時代が来てほしい。でも、意外に近いんじゃないかな、と思ったりもします。あと一歩、というところにある壁が大きいだけで。
厚い鉄製の壁を壊す作業を、今はアイスピックくらいの小さい工具でほじくっているだけですが、ちょこちょこといじるのが私の楽しみであり、仕事の遣り甲斐でもあります。「もしかしたら、何かの拍子にツンとつついたら壊れるかもしれない」という希望を抱けるのも、ある意味で“グレーな領域の仕事”だからこその醍醐味なのかもしれません。
誰にでも「自分って最低だな」と思う瞬間があると思います。それは私も同じで、ポジティブに活動し続ける自分の土台には、傷つきながらも応援してくれた母親の支えや、誰かの不幸がいくつも重なっているのかもしれません。私の悩みの根源は常に地中深く潜りこんで、目の前に現れることは今もまだありませんが、この孤独が続く限り、ずっと現役をまっとうし、AV女優を続けていきたい。そう思っております。
最後にまた宣伝になってしまいますが、『最低。』(KADOKAWA)も、こうした女優さんの葛藤を私なりの解釈で書き綴ったつもりです。もし気が向いたら、お手に取ってみてくださいね。それでは皆さん、あぢゅー!!!