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『保育園落ちたのは私じゃない』人たちには届かない コップからこぼれた共感のゆくえ

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 2月15日にはてな匿名ダイアリーに投稿された『保育園落ちた日本死ね!!!』を引き金とした一連の“騒動”は未だに収束する気配がない。

 『保育園落ちた日本死ね!!!』に対して、「母親のくせに言葉が悪い」「このような言動をしているから(保育所に)落とされた」と難癖をつける人々も少なくない。これらは他罰的なミソジニー発言でもあるが、売り言葉に買い言葉の罵詈雑言でもある。「死ね」とか「クソ」とか言う言葉は、やはり他者を傷つける言葉であるし、出来れば贈られたくない、受け取りたくない言葉だからだ。

 こうした発言をすると、「怒りへの抑圧」「弱者への抑圧」という批判が間髪入れずにかえってくるのは想定済みかつ経験済みだが、あえて言う。

「殴られたら倍返し、とまではいかないまでも、殴り返すときは殴られた時よりも少しだけ強い力で殴りたいと思うし、奪われた量より少しだけ多く奪い返したいのが人の常だから、殴られたからといって殴り返したら、永遠に復讐は終わらない」

「“殴られたら痛い”という、当たり前のことは、誰にとっても当たり前であるということを忘れてはいけない」

「それは強者のルールで、それを弱者に強いることは理不尽な暴力である。という指摘は最もだけど、誰であれどんな境遇であれ、ふるった拳には責任を持たなければいけないし、多くの人と同じだからといって、個人の罪が軽くなることは無いし、正当で免罪された暴力なんて、この世のどこにも無い」

 泥遊びでも土木工事でも同じだが、「穴を埋め固めるためには掘りおこされた土より少し多い量の土が必要」だ。復讐行為とその心理についても同様で、このことを考えることこそ、憎しみの連鎖を考える上で重要なことなのではないだろうか。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」