カルチャー

「女は子供を産みたいはず、でしょ?」女の性と生殖を考える。中村うさぎ×牧村朝子×柴田英里/messyプレゼンツ@新宿眼科画廊

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 柴田さんが白熱している一方で、牧村さんが「何のことだかよくわからないぞ?」という表情をしていた。双方でこの作品の捉え方が全然違うのだと、この時点でようやくわかった。牧村さんは、アーティストの長谷川愛さんの作品づくりにカップルとして協力したわけで、彼女自身の「是非実現したい欲望」としてこの作品を提示しているわけではないと思う。しかし柴田さんは、NHKが本作品を取り上げたという番組を視聴していて、そこではおそらく「最先端の技術で、これまでは子供を望めなかった人たちにも希望の光が!」という取り上げられ方をしていた。ここに強い違和感を覚えていたわけである。だが牧村さんはそんなことは知らないわけで、柴田さんが「この作品」だけについてではなく、「その番組」を見たうえで議論しようとしているから、食い違うのも当然だ。

 その後、柴田さんは、フェミニズムの中にもレズビアンフォビアがあるのではないかと話を進めていく。たとえば、セクシーな女の子の写真やイラストがあるとして、それを取り締まるとなったときに、「こんなエッチなものを楽しんでいる女はいない」ことにされてしまうのがおかしい、と彼女は言う。女性のエッチな姿を好んで見ようとする女性もいるはずなのに、「これは男が楽しむものだ」と決めつけられ、いないことにされてしまうと。

牧村朝子

牧村朝子さん

牧村「男の欲望だと断じてしまうことによって、排除されてしまう女性がいるということですね」

うさぎ「別にレズビアンじゃなくても、女の裸を見るのが好きな女はいますよね。私は女子校だったけど、××ちゃんの胸は大きいなとか見てたもんね」

牧村「いいなあ女子校」

うさぎ「今から入ればいいよ」

柴田「高校って卒業していてもまた入学できるんですか?」

うさぎ「できないね。それはそれとしてさ、私はゲイの友達が多いわけだけれども、ゲイだって破滅的な行動する奴らじゃないですよ。できれば今のパートナーの子供を産みたい、と望む男友達だっているのね。できれば彼の子供を産みたいけれど、誰かの卵子がなければ無理で。その卵子が誰のでもいいってわけじゃあないから、信頼できる友達の女性に頼みたいとかね、そういう話をしていたから。ゲイだって、子供が欲しいということをさ、ジェンダーロールのごっこ遊びで口にしているのかっていったらそういうわけじゃない。できることなら自分の遺伝子と彼の遺伝子をかけあわせた子供が欲しいと。さっきの西原理恵子じゃないけど、好きになった彼の子供を産みたいって思っているゲイだっているわけですよ。男女のジェンダーロールに縛られた幻想かもしれないけど、そういう幻想を持ったっていいじゃない」

牧村「そうなんですよね、彼の子を俺が産みたいと思ったっていい」

うさぎ「でも幻想じゃなくて、できるかもしれないわけでしょう、この技術の研究が進めば」

牧村「できますよ、今は男性の肌から卵子をつくって、それを腸壁に着床させる実験をすると聞きました。肛門から出産はできないので帝王切開になりますが」

うさぎ「肛門は無理だよね! 妊娠中、便秘状態になっちゃうもんね」

中国がやる

柴田「村田紗耶香さんという小説家が、男性も人工子宮を使って妊娠と出産ができるという設定の、特殊な世界観の作品を書いています。とても面白いので是非読んでみてください。『殺人出産』と『消滅世界』です。前者は、10人産んだら1人殺しても良いというルールのある世界で、犯罪の刑罰もひたすら子を産み続けさせられる刑だったり。男性はもちろん、閉経後の女性も人工子宮で産み続けることができてしまう世界です」

うさぎ「うわあ怖いSF。大変な世界ですねえ」

牧村「でも人工子宮、実際に研究されていますからね。私たちの生きているうちに、技術的には可能になるんじゃないでしょうか」

うさぎ「私たちって一括りにされても、年齢が全然違うからさあ(牧村さんとうさぎさんは約30歳差)」

牧村「2015年の時点であと2年って言っている研究者がいるんですよ。もう来年ですね。精子のもとと卵子のもとを人間の肌からつくることは、もう出来ているんですって。でもまだ実用化できないのは、法律があるので」

うさぎ「生命倫理の問題になりますよね。欧米のように根底にキリスト教がある国家では、生命の誕生を操作するのは神への冒涜だという見方も強いんじゃないですか」

柴田「セックスが快感であることさえ、罰しようとする人だってまだいるぐらいですから」

牧村「うん、だから欧米よりも、中国じゃないですかね。このあいだ、しれっと中国の研究チームが受精卵の遺伝子操作をして、世界初なんですが、激論になりました」

柴田「中国って面白いですよね。三国志とか、まぁ物語ですけど、えらい武将が訪ねて来たのにろくなもてなしを用意してなかったぁ〜って自分の妻を殺してさしだした男に、武将が『お前は妻を殺すほどの気持ちで俺をもてなしてくれたのかッ』と超感動する逸話があったり」

牧村「中国はまあ、何かやらかしてくれそうなね、ふんわりしたイメージですけども。何が言いたかったかというと、これまでは可能ではないと思われていたことも、技術的には可能になりそうですよ、ということですね」

うさぎ「面白そうな話だけどさ、まー猛反発をくらうだろうなと思いますよ。出産を神聖なものだと思いたい人は大勢いるわけじゃない。神を信じていなくとも、生命をつくるという行為、そこに愛という幻想の概念がつけくわえられて、愛し合う男女がね、愛ゆえに、性欲じゃないですよ、愛ゆえに合体してね、そこに愛の結晶である子供が産まれるという非常に口当たりのいい物語があるでしょう。まあいいんですよ、幻想がまったくなきゃ生きていけないし、幻想があるのを批判する気はないんだけど、『そうでなければならない』と強制されちゃうといけないね」

柴田「性的な欲望に序列があると思いませんか? 愛によって結ばれて子を授かるのだって性的な欲望の結果だけど、アヘ顔ダブルピース幼女好きだぁぁって気持ち(での自慰)も性的な欲望としては同じでしょう。なのに愛のあるセックスは尊い欲望で、アヘ顔ダブルピース幼女好きだぁぁってのは気持ち悪い下賎な欲望だ、みたいな仕分けがされている。同じようなものに序列をつけようとするのは不思議というか……」

うさぎ「……アヘ顔、ダブルピース……?」

 うさぎさんはこの後、柴田さんの画像検索して出た「アヘ顔ダブルピース」を見て覚え、客席に向かってご自身の初アヘ顔ダブルピースを披露してくれた。さてこの生殖技術について、牧村さんは「セックスと妊娠出産を完全に切り離すことができたら、拒否反応を示す人は出てくるでしょう」と見ている。他方、うさぎさんは「実用化されたら子供が欲しいけど出来なかったから飛びつくという人もいるでしょうけど、欲しくないと考えている人が『じゃあ産もうかな』とはなりませんよね。育てるのが大変なんだからさ」と見解を示した。

中村うさぎ

中村うさぎさん

母親の全力育児が「自然」と捉えるのは間違いではないか

 ここまでのトークでは、妊娠出産が主な論点であり、「産む=育てる」である現実についてあまり触れられないことがもどかしく思い、「産んだ後のことも含めて、産むことを躊躇する向きがあるのではないか」と少々口を挟ませてもらった。妊娠と出産は一年ほどで果たされるとしても、その後、親としての責任を負い続けることのほうが今を生きる人々にとって「産まない」選択につながっている。私自身は計画的に子づくりをしたわけではなくて、たまたま妊娠して、たまたま状況が許すものだったから結果的に産み、育てている。しかしあのとき妊娠していなかったら、いつか誰かと計画的に子づくりしていたかどうかと考えると、きっと踏み切っていなかったのではないかと思う。

うさぎ「子育てで奪われるもの、仕事のキャリアみたいなものも犠牲にしなきゃいけないかもしれず、そのうえでさっき出たように母性信仰にとらわれた日にはありとあらゆるものを犠牲にしなきゃならなくなるし、そのうえ、手塩にかけて育てたとしても子供が理想通りに育つとはいかず、もし社会に迷惑をかけたりしたら親が責任を感じたりするわけじゃないですか。私はそういうの想像しただけでああもう無理ーと思って、考えれば考えるほどうんざりしていた。そういう人も、多くはないかもしれないけど、いると思うんですよね。牧村さんは子育てを想像しますか?」

牧村「小さい子の面倒をみるという点では想像しますね。フランスに住んでいたとき、日本人の駐在員家族の子供たちの世話をする仕事をしていました。おむつを替えたりあやしたりなど。あと、今は住んでいる自治体の事業で、ファミリーサポートの会員として、保育の補助が必要な家庭を手伝うボランティアに登録していたりとか」

 ファミリーサポート制度は自治体によって内容に異なるところがあるかもしれないが、子育て世帯の親が依頼者として会員登録し、本部を通じて、育児の援助を行う提携会員に、保育園の送迎を頼んだり、兄妹の学校行事の際に連れて行けない乳児を預かってもらったりすることができる。必要経費として依頼者は一時間につき1500円程度を支払う。筆者の子供が通う保育園でも利用している世帯はあり、お迎えの時間に話す機会のあった提携会員の女性に「この後××君はどういうスケジュールなんですか?」と質問したところ、「私の家にいったん連れて帰って、ご飯を食べさせてお風呂に入れてあげてパジャマに着替えさせた21時頃にお母さんから帰宅連絡があるので、送り届けます」との回答だった。でもこれはその依頼会員さんと提携会員さんの間でのことで、一般的にみんなこうですよというものでは全然なく、利用の仕方は各家庭ごとに違うだろう。

牧村「自分で産んでいなくても、何らかのかたちで子育てにかかわることは出来るんだなって思います」

うさぎ「そういう制度があっても、よそのお母さんからどう思われるかって外聞を気にする母親は利用できないんじゃないですか? ここでもまた批判する人もいるじゃないですか、お母さんが迎えに来ないなんてかわいそうだと」

牧村「そんなこと言う方がおかしいんですよね、事情がある」

うさぎ「頼まなかったらもったいないですよね。世間の母親プレッシャーとして、お母さんが全部子供の問題を抱え込め、という圧迫がありますよ」

牧村「【くそ】って言いたい」

うさぎ「子育てに自分の時間や人生を奪われてしまうと懸念して産めない女性もね、子育てを他人に頼んではいけないという共通認識を持っているからこそだと思うんですね。私の友達の漫画家の倉田真由美なんかは、最初の結婚で離婚して、長男を九州の実家に預けて自分は東京の仕事場にいた。そして彼女が新しく恋愛をして今は再婚したけれども、ネットなんかではすごく叩かれたわけですよ、実家に子供を預けっぱなしにして恋愛を謳歌するなんてけしからんってね。そういうときに必ず出てくる言葉が『子供がかわいそう』。お母さんが子供を犠牲にして自由にしちゃいけない、っていうさ。でもね、育児放棄してるわけじゃないんだよ、ちゃんと子供をケアしてくれる人に預けてるんだから。そりゃあ子供が道端で飢え死にしそうになってるのに放置して男とラブホテルに入ってったらあたしだって『おいくらたま、待て』って言うけどさ、そうじゃないわけでしょ。母親はラブホ行っちゃいけないわけじゃないんだしさ。でも母親とはそういうものじゃないという認識が共有されている。ここを少し壊していかないと母親やりづらいよね。これは日本だけじゃなく全世界にあると思うよ、母親幻想」

牧村「母親はこうするべきだーって言う人を見ていると、私は『自分はママにはこうあってほしいです』と表明しているだけのような気がする」

うさぎ「三歳児伝説、じゃなくて三歳児神話だっけ、母親がつきっきりで育てなきゃ愛に飢えちゃうなんていうのは、ただの文化であって。中世の貴族なんか母親は世話しないで乳母がケアしていたわけだけど、じゃあ中世の貴族たちが思春期にグレてたかっていうとそういうわけじゃないでしょ。これって同一文化内の比較の問題だからさ、周りはいつも母親と一緒にいるのに自分はそうじゃないって感じたときにいじけてグレるんじゃないか。母親が100パーセント子供に注ぎ込むのが自然なかたちだというのは大間違い。母親が世話しないのが上流階級の証だという時代や場所もあったわけで、価値観は変わる」

自分のための人生を生きる

柴田「産まない女は、産んだ女に見合うような特別な仕事をしなければならないのか、と考えるとどうですか? 私は、特別なこと成し遂げずに勝手に野垂れ死んだっていいじゃないかと思いますが」

牧村「特別な仕事って誰のために?」

柴田「社会」

うさぎ「国家や社会ですよね。貢献しなきゃいけないのかって問いですよね」

柴田「山口智子さんのインタビューも、産まなくても社会に貢献できるということ言われていたし、小泉今日子もそういう発言をしている。messyの記事でも『子供を産まなくても貢献出来る』と結論づけられているものがあった。でもそれが結論になってしまうのはすごくおかしいと私は考えていて」

うさぎ「何かしらの貢献をしないとその人の人生に価値がないってことになってしまうからね。何者にもならず何事も成さず死んでいく人間に価値がないのかっていったら、そんなはずはない」

客席「一億総活躍とか言われちゃうと、産んでいない私は独身税などを課されても仕方がないのかなって思ってしまう。代わりにお金を払うので許してくださいというような」

うさぎ「私が思うのはね、貢献しないととかそういう考え方はそもそもね、結果にすべての重点を置いている考え方だと思うんです。お前は死ぬまでに何をやったんだとかね、結果を出すために生きるなんてのは絶対間違いだと私は思ってる。人生の生きてるうちに結果なんて出ないんですよ。私は人生で一番大事なのはプロセスだと思う。どういう結果出したかじゃなくてどう生きたかがその人にとって価値があることだと思うんですよ」

牧村「その人にとって」

うさぎ「その人にとってね。他の人にとって価値があるとかないとか関係ないわけですよ。そんなこと言ったらノーベル賞とった人しか意味がないみたいになる。何者にもなれず何事も成せず貢献もできず子供も産まずに死んでいく凡人いっぱいいるかもしれない、だけどその人の人生にお前は何を残すんだって結果を求めるのは間違いだと私は考える。子供を産もうが産むまいがその人が一生懸命生きて、自分のためにしたこと、それが誰かを貶めたり傷つけることだったら問題があるけど、自分のために生きたならいいと思うわけですよ私は。それが結果的に誰かのためになることもあるじゃない。私は自分が食っていくために本を書いてるし、自分がどうしたらもっと楽しく生きれるのって自分の欲望ばっかり考えて生きてきてそれを書いて、読んだ人が『やー中村さんが書いてるの読んでちょっと気が楽になりました』と感想をくれることがある。私は自分のために生きてるけど、たまたま私の人生が他人の役にちょっと立ったみたいな、その程度でいいじゃないと思う」

柴田「中村さんの著作、フェミニズムとしてもすごいと私は思う。ナルシシズムと自己愛をすごく肯定しているところが。『他者という病』でも、最後からに番目の章かな、私は私の事をあきらめないと書いていて。それって、西洋発のフェミニズムが蔑ろにしてきた部分だと思う。キリスト教文化では自己愛って薄い。アガペー、神の愛はあるけれども、自己愛を蔑ろにして社会正義や社会貢献に傾きがち。中村さんは自己愛について明確に書き記してくれた」

うさぎ「社会の役に立たなくていいんです。自分のためで」

牧村「社会のために生きたい、人を助けたいです、って声高に言う人いますけど、それって自己実現のために他人を使っていると思う。もしね、私の母が『私はあなたを産んだことによって社会貢献をした』とか『社会制度を存続させるためにあなたを産んだのよ素晴らしいでしょ』みたいに言ってきたら、ゲロ吐きそうですよね。そういうことを言って気持ち良くなってる母のために産まれてきたの? と。みんな自分のために生きていいし、他人や社会のためなんですって言い訳をしなくていいと思う」

うさぎ「結局、山口智子さんも自分のために生きることを大事にしたらこういう生き方になりましたと。一方で、子供を産むことが自分のためだという人もいるはずで、そういう人は子供を産み育てる生き方をすればいいわけですよね。社会への貢献力が人間の価値みたいになっちゃったらどんだけ恐ろしいか」

牧村「社会は、とか、女は、とか、子供がかわいそう、とか」

柴田「主語が大きい」

牧村「はい、顔の見えない主語の発言になっちゃってるのは、危険だと私は思う。【私は】思う」

どうせ死ぬということ

中村うさぎ

背景に映し出されているのが、牧村さんとモリガさんです

柴田「最後になりますが、中村さんに死の話をしてもらいたいんです。というのも、『文春』の連載で死についてや臨死体験を書かれていたのに、連載が終わってしまって読めなくなって悔しかった。もっと読みたかったんです。今って、女は産んだ方が良いという圧力が強まる傾向にあって、死を語る自由が奪われているんじゃないかとも私は感じている。女から死を奪うなよって思うんです」

うさぎ「私が『文春』クビになった理由はね、死について語り始めたからなのか、単に編集長が私のこと嫌いだったからなのかわからないのでね、死について語る自由を奪われたのかどうかは何とも言えませんけども。女と死を結びつけたくない感じが世の中にある?」

柴田「感じるんですが」

うさぎ「よくわかんないけど」

牧村「死について語る自由を奪われているかどうかはわからないけど、生産については子供の頃からよく言われますよね、女の子たちはいつか子を産む体なんだから冷やしちゃだめよとか」

うさぎ「なるほど。そんな教育、されたことないな。女子校でもそうだし、親も。思ってたのかもしれないけどまったくそんなメッセージ私には伝わってなかったな。そうかあ、そういうふうにわりと小さいときから、子供を産む体なんだって意識させられるようなこと、私はあったとしても聞き流していたかも。私が印象的に覚えているのはね、小学校中学年のときにね、近所の少し年上のお姉さんがね、変な男にいたずらをされる事件があって。でも当時の私にはいたずらってスカートめくりぐらいしか思いつかなくて。どんないたずらをされたのか想像がつかなくて、しかも『裸で泣いてたらしいよ』という噂も駆け巡って、裸でいたずらで泣くってなんだよってわからなくて母親にきいたんですよ。何があったんだって。そうしたら母親が、『女の子は、お股の間に、赤ちゃんが通ってくる道があるの。それは男の人にはないから、男の人は見たくてしょうがないのよ。だからパンツ脱がせようとする男の人もいるけど、見せちゃだめなのよ』と説明してくれた。性を意識したのはそのとき。後に、体育館に生徒が集められて受精の仕組みなんかを教えられたけどつまんなくて意識が飛んでってたなあ」

柴田「私が学校の授業で見せられた性教育のビデオは面白かったですよ。満月の晩に、真っ白い部屋で男女がベッドに入り、ムード歌謡が流れて暗転し、その先は断面図で説明されるという」

うさぎ「なんで満月なの」

柴田「わかんない。月の満ち欠けがとか? それを見せられて大爆笑してしまって、怒られました」

うさぎ「あくまでも子を産むためのセックスの解説なんだよね」

柴田「その後、中絶の説明もあって、でも一番痛そうな恐怖を煽る手術映像を見せられた」

うさぎ「じゃあ避妊も教えるの?」

柴田「それがなかったんです」

うさぎ「中絶の怖さを教えようというんなら、避妊もちゃんと教えないとどうしていいかわかんないよね」

柴田「子供を産みたい気持ちにならなきゃいけないんじゃないですか」

うさぎ「無理だね。そういえば思い出した、高校の時に保健の授業でね、女性教諭が『あんたたちね、そのうち男と暮らしたりするかもしれないけど、男って朝起きて一番にやりたがるの。でもそれはね、おしっこが溜まってるだけの生理現象だから、おしっこ言っといでってトイレにやればおさまるよ』と」

牧村「すごい実践的ですね」

うさぎ「おふたりはさ、性教育のテキストを自分でつくろう、みたいな気持ちにはならなかったの?」

柴田「ならなかったですね。セックスガイドラインに興味を持てない」

牧村「うーん、思春期は、性教育を受けるたびに不安になりましたね。『女子は女子らしく、男子は男子らしく身体が発達していき、異性に興味が出るようになっていきます。これは皆さん、正常な発達なんですよ』という説明があって、私は同性に興味が出ていたから正常じゃないんだと。教科書のその部分を読み終えた後に、先生が口元に手の甲を当てて『まあでも世の中には、こういう人もいますけどね』と言ってクラス中が笑ったんですよ。でも私は一緒に笑えなくて、なぜ笑えないかというと、自分は10歳のときに女の子を好きになったことを一生懸命自分で忘れようとしていて、なんかつらい一緒に笑えないなんでだろう、って思っていた。教科書で展開される生殖のためのセックスを私もいつかやらなければいけないんだろう、だって女の子は産むんだし体を冷やしちゃいけないし……とぐるぐる考えていた」

うさぎ「大人は女の子が本当に小さい頃からさ、産む体なんだって、悪気なく刷り込んでいるんだね」

 死の話のはずがやはり「産む体」の話に転んでしまい、さらに柴田さんは「女は野垂れ死ぬのも規範的に禁じられている」と言い出して女性ホームレスの話になったが、なんとか軌道修正し、柴田さんの聞きたかった最大にして最後の質問「うさぎさんは死を経験して何かが変わったのか」までようやくたどり着いた。

うさぎ「死ぬことを、昔からそんなに、怖いとかどうしようとか思わない、軽々しく考えているところがあったんですが、ますます軽く考えるようになっちゃったかもしれませんね。まあいいやどうせ死ぬんだし、っていうか。死について思い悩むことがますますなくなった」

 死だけは今のところ人類すべての決定事項だ。産んでも産まなくても、社会に貢献してもしなくても、散在して困ったことになっても、まあいいやどうせ死ぬんだし、というところだろうか。

 柴田さんは「野垂れ死に」の話もそうだが、女性が粗野な行動を「女性らしさ」の名において禁じられることへの不満が強いようで、それは彼女自身の持つ欲望や、彼女自身が個人的に受けてきた抑圧に根を張っているのではないかと感じた。そのあたりについても、今後のコラムで解き明かしてもらいたい。

(写真・レポート/下戸山うさこ)

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