連載

走れ無職 コンビニ失格 グッド・バイ

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深夜零時を回った頃、僕は近所のコンビニに行くことにしました。歩いて十二分はかかります。「ど」のつく田舎というほどではないにせよ、あまり垢抜けない町に住んでいるのでそこまでたくさんコンビニがあるわけではありません。僕の町にコンビニが建つようになったのも、他の町よりは随分遅れてのことでした。

近くのコンビニというのは僕が昔バイトしていた店です。鑑別所上がりの店長が経営するわりと大きなコンビニです。夜勤は大体ヤンキーが店員です。僕は昔はいじめられっ子だったのですが、大人になってからは不良やヤンキーといった人たちと仲良くするのが苦手ではなくなりました。むしろオタクっぽい人の方が気難しくて、関係がこじれることの方が多かったです。僕は下ネタが得意なので、延々下ネタを言っているだけで盛り上がれるヤンキーとはそこそこうまくいきました。

昔自分がバイトしていた店に行く、というのはこれまでに何度か来たことがあるにしても、毎度毎度そこそこ緊張を要することでもありました。夜勤のシフト、誰が入ってるのか気になりました。誰が店員かによって気分は随分変わります。仲良くするのが苦手ではなくなったとはいえ、内心嫌じゃないかというとそういうこともなかったのです。というのは、いくら仲良くなって冗談を言い合えるような関係になっても、絶対に心にふっと影がさす瞬間がやってくるからです。目の前の人が僕を直接的にいじめたわけではありません。でも、もし僕たちが中学生で同じクラス同じ教室にいたら、目の前のこいつは絶対に僕をいじめていただろうな、殴ったり蹴ったり首を絞めたりゴキブリを食べさせたりしていただろうな、そう思うと心を開くことは難しい。警戒心は解けず、自分でもよくわからない被害妄想にとらわれて、相手の些細な振る舞いにわけもなく傷ついてしまう。別にそいつが悪いわけじゃなくて、これは僕の心が悪いのです。だから余計にタチが悪いし、その仕組みを理解出来ないほどに僕もバカじゃないので自分を責めてしまいます。なので、どんどん心が苦しくなっていく。

せめて夜勤のシフトに入っている人が、不良度の低い奴であってくれたらなと思いました。不良にも不良度というのがあって、なんとなくしょぼそうな人の方がまだ心の中で許せました。むしろ、昔は酷く悪かったけど更正して今はすごくまともになった、というような人の方が許せなかった。歴代の夜勤のバイトの中で誰が一番不良度が低かっただろう、と僕は慌てて回想しました。何故慌てて回想したのかというと、急いで回想しなければコンビニに着いてしまうからです。コンビニに着いてしまうまでに僕には考えないといけないことが山ほどあるのです。

一番不良度が低かった人物はといえば山上さんでした。山上さんは五十過ぎの白髪のおじいちゃんです。勤めていたサンドイッチ工場が倒産して、コンビニの夜勤にやってきました。一見真面目そうだけど、不思議な人物でもありました。いつもおどおどしていて、仕事もあまり出来ない、何を考えてるのかさっぱりわからない。勤務中に手品を使いながら業務を遂行したりするのです。謎です。そしてギターをやっていて、自作のCDを好きな女の子に手渡したりしていました。山上さんが好きになったのは二十代前半の女の子でした。手渡された女の子はCDを聴かずに捨てたらしい。そんな山上さんだったのですが、ある日倒れてしまいました。なんでも、梅干しの食べ過ぎで脳梗塞になってしまったらしいのです。それで脳の一部が壊死してしまい、視界がおかしくなってしまったというのです。山上さん本人が、辞める前にLINEで自分の病状を、誰も聞いてないのに告白していました。説明によれば彼は現実がピカソみたいに見えるようになってしまったということです。ピカソといえばキュビズムです。随分特徴的な画風です。そして見たものを正しく脳が認識することが出来なくなってしまったのだといいます。山上さんは仕事が出来なくなってしまい、コンビニのバイトを辞めました。多分今も働いてないと思います。僕は、それは怖すぎるな、と思いました。それから少し、塩分を意識的に控えるようになりました。誰が夜勤のシフトに入っていると嫌かな、と再度考えると、僕は一番嫌なのは山上さんだということに気がつきました。山上さんには不良っぽいところはどこにもありません。というのに、僕は山上さんのことが一番嫌いでした。許せないと嫌いは、違うのです。

寒い夜でした。三月とはいえ、まだまだ真冬なみの寒さが続きます。横断歩道を渡って角を曲がれば、僕が勤めていたコンビニにたどり着くはずです。店員に向かって第一声はなんて言おうか、と改めて考えました。でも、ふと別の可能性に思い当たりました。僕が知っている店員ばかりがいるとは限らないのです。僕がそこのコンビニバイトを辞めてからもう二年近くが経ちます。もしかすれば、僕の全然知らない新しい店員が勤務しているということは全然あり得ない話ではないのです。なんだ、そうか、と僕は思いました。がぜん気が楽になりました。そうだとすれば、ただ普通の客として振る舞えばいいだけです。そこで今度は僕は、でも普通の客としての振る舞いって一体何だったっけと考えました。僕は今、昔その店でバイトしていた男としてコンビニに行こうとしていたのです。でも今、その前提が崩れようとしています。普通の客として振る舞わなければならないかもしれないのに、普通の客としての振る舞いがわからない。いや、そもそも……僕は昔からずっとそうでした。子供の頃なんか特に「普通にしなさい」というフレーズが他人から投げかけられた一番多い言葉だったかもしれません。でも普通にすることは僕にとって困難なことでした。普通が、わからないからです。一旦そう言われて意識し始めるとあらゆる事柄に自信がなくなりました。しゃべり方も歩き方も、変な気がしてきました。というか実際、変だと言われました。試行錯誤して、他人の素振りをなんとか真似しようとしました。でも、僕にはその才能がなかったのです。どれだけ努力しても僕はどこか人とずれていました。そして実は、今でもまだ自分の素振りに自信が持てないでいるのです。

しかし、そんな内省を続けていてもコンビニにたどり着くことは出来ません。僕は覚悟を決めて角を曲がりました。

コンビニが、消えていました。

そんなバカな、と思いました。でも、かつて僕が勤めていたコンビニは更地になって跡形もなく消えてしまっていたのです。辞めるとき、店長から経営は順調だと聞いていました。もの凄い黒字が出ているとかなんとか。というのに、コンビニはつぶれてしまっていたのです。これでは僕はコンビニに行くことが出来ません。しかし、ここまできて何もせずに引き返すわけにもいきません。それでは、ただの深夜の散歩になってしまいます。僕は深夜の散歩に出かけたわけではないのです。コンビニに行くために、家を出たのです。だから僕は別のコンビニを探すことにしました。僕は地元のコンビニ事情には詳しくないのですが、いくら田舎とはいえ、でたらめに歩いていればいつかはコンビニに出くわすことが出来るでしょう。深夜の町に人通りは全くありませんでした。たまに車が通り過ぎ去っていくだけ。歩道には誰もいません。ただ、街灯だけが、ぽつん、ぽつん、と夜の闇に明かりを灯していました。僕は歩きました。どれくらい歩いたでしょうか。それはわかりませんが、随分歩いたことは確かでした。二十分か三十分くらい歩いたかもしれない。というのに、全然コンビニが見つからないのです。おかしい。こんなことがあっていいはずがない。僕はあたりを見回しました。すると、前方から誰かが歩いてくるのが見えました。中年の男性でした。僕は恥をしのんで、彼にコンビニの場所を聞くことにしました。

「あなたが探しているのは、ファミリーマートですか? セブンイレブンですか?」

そんなものどこだっていいんです、と僕は答えました。「ここから200メートルほど真っ直ぐ歩くと、橋があります。その橋のたもとにおりて、河川敷を歩いて行くとやがて幹線道路の真下にたどりつきます。そこを更に通過すると、階段があるのでのぼります。幹線道路を正しく右に曲がって、信号機を八つほど越えていくと、バス停の横にローソンがあるはずです」僕は、この人は道を教えるのが下手だな、と思いました。それでもお礼を言って、歩き出しました。歩いているうちに、だんだん不安になってきました。あの人はもしかしたら僕に、嘘の道順を教えたんじゃないか。そういう気がしてきたのです。実は僕自身、人に道を聞かれた際に何回かまるっきりの嘘を教えたことがあったからです。なんでそんなことをしたのか、自分でもよくわかりません。ただ、むしゃくしゃとしていたのだと思います。誰かに悪意を向けたくてしょうがなかった。それでも、むしゃくしゃして人を刺したりするよりはマシだと思いました。だからわざと正反対の道順を教えたことがよくありました。そのとき、僕は自分にある種のルールを課していました。それは、ムカつく人には正しい道順を教えて、感じの良い好感を持てる人には嘘を教える、というルールでした。何故そんなルールを自分の中で決めてしまったのか、それが僕自身よくわかりません。もしかしたらそれは、ヤンキーより山上さんの方が嫌いだという気持ちに近いものがあるのかもしれません。

しかし、教えられたとおりに歩いてもいっこうにコンビニは見えてきません。幹線道路にたどり着いてからは一本道のハズです。ということは、そのうち遠くにコンビニの光が見えてきてもいいはずなのです。しかし、そんなものはどこにもありません。僕はいよいよ不安になってきました。やっぱり嘘を教えられたのかもしれない。でも、あれ以来人とすれ違う気配はありませんでした。まるで僕以外の人間は死んでしまったかのように誰もいません。道を尋ねることは出来そうにありませんでした。僕は携帯を家に置いてきてしまったので、地図アプリで調べることも出来ないのです。というか、今自分がどこをどうやって歩いているのかもわかりません。僕は殆ど迷子に近い状態でした。そしてここまで来て、僕は更に致命的な事態に気がつきました。財布が、ないのです。どうやら僕は、携帯電話だけでなく財布まで置いてきてしまったらしいのです。これでは、何のためにコンビニに行こうとしているのかいよいよわかりません。コンビニに行っても何も買うことが出来ないのです。プリンもコンドームも女性用タイツも買えない。しかし、そもそも僕はどうしてコンビニに行こうとしたのでしょうか。わからなくなってきました。一体何を買おうとしていたのか。コンビニに行く必要なんてないんじゃないのか? 行く意味なんてないんじゃないのか? そう思いました。しかし、コンビニに明確な目的意識を持って行く人の方が少ないんじゃないのか、という気もします。僕のような人間も珍しくないんじゃないのか。なんとなくただコンビニに行く、という人もいていいんじゃないのか。そうも思いました。

八つ目の信号機を越えて、そろそろあの男が言っていた場所だな、というところで僕は別の建物を目にしました。そこには、僕がかつて勤めていた学習塾の看板がかかっていました。やけに立派なビルでした。信じられない、という気持ちになりました。というのは、僕が大学時代に塾講師をしていたその塾は、もっと別の場所にあって、とてもこじんまりとした個人経営の塾だったからです。いや、風の噂で、わずか数年で多角経営に成功して京都市内で何十カ所にも塾をもつ程になるまで成功した、という話はきいていました。しかし、いざその成功を目の当たりにすると、なんだか複雑な気分になりました。塾長、ものすごい稼いでるんだろうなぁ、と思いました。それから、昔僕がコンビニ店員をしていたころ、レジにかつての教え子が並んだことがあったのを思い出した。そういったことは、実は頻繁にありました。僕がつとめていた頃のその学習塾は、どちらかというと、大手塾からこぼれ落ちてきたような子を教えるというような性格がありました。地元の、あまり偏差値の高くない高校の子供たちの補習塾という性格があった。その中で、僕が唯一ちゃんと受け持ったのが、中島くんという生徒でした。中島くんは、今思えば山上さんに似たようなところがありました。無口で、何も喋らない、何を考えているのかわからない。眼鏡をかけていて、一見真面目そうなのに、成績が最低でした。信じられないくらいに勉強が出来なかった。全教科赤点、何か人生を投げて捨ててるような印象を与えられる、そんな高校一年生でした。もしかしたら、いじめられていたのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。それはともかく、僕は中島くんの個人指導を担当することになりました。僕は当時塾講師としては新人だったのですが、他の先生が全員匙を投げていて、それで僕におはち鉢が回ってきたのです。あいつはダメだよ、と誰もが言っていました。何のやる気もないんだもん。

僕は中島くんと同じようにやる気のない塾講師だったので、授業の殆どを寝て過ごしました。授業時間に先生が寝るなんて、本当に酷い話だと自分でも思いました。すると中島くんはどうしたことか、真面目に勉強するようになりました。もしかして、と僕はある可能性に思い当たりました。僕が中島くんのやる気ない態度に腹を立てて、パフォーマンスとして授業を放棄してみせている、そんな風に彼は思ったんじゃないだろうか、と。どうやらそんな節が中島くんにはありました。それで僕は申し訳ないような気持ちになって、仕方なく寝るのをやめにしました。中島くんは三角形の面積を求めるのに、底辺に高さをかけて二で割るということを知りませんでした。相当酷いレベルでした。僕は勉強を教えるのがバカらしくなって、かわりに人生の話をしました。相当、鬱陶しい先生です。僕は授業時間の二時間を、人生を語ることに費やしました。そして、話すのに飽きた頃に、今度は中島くんの人生の話を聞かせてもらいました。中島くんはよく喋りました。こんなに喋る奴だったんだ、と意外に思いました。それにしても、僕たちは塾での時間の大半を雑談に費やしていたので、勉強をする時間がなくなってしまいました。僕は中島くんの高校のテストの答案を見て、おそろしく基本的な問題しか出題されないことを知っていました。教科書と問題集をざらっと読んで、中島くんの高校ではおそらくテストに出ないであろう問題を除外して、簡単な問題にだけ丸をつけて渡しました。「この四十数個の問題を三十回反復して記憶すれば、たかが学校の定期テストなんて誰でも百点とれる。家で毎日三十分だけやってみて」ちなみに中学や高校時代、僕も全く同じ手法で、たまにウケ狙いで百点をとったことがありました。さて、それから中島くんは、自分の家で勉強をするようになりました。塾では雑談しかしていなかったのに、一カ月後、中島くんはマジで百点をとりました。塾長は僕の手腕にかなりの衝撃を受けていました。僕の時給は上がりました。

飲み会の席で僕は塾長に言いました。「中島くん、今から頑張れば、いい大学行けるかもしれない」そのとき僕は、『ドラゴン桜』を読んでいたのです。塾長が呆れたように言いました。「親御さんも、中島くん本人も、そんなことは望んでないんだ。彼は高校を卒業したら工場に就職するんだ」じゃあ何のために塾なんか来るんだよ、その時間で遊べばいいじゃないか、と僕は思い、塾長に尋ねました。「親にも体面とか色々あるんだよ」なんだそれ、と思いました。しばらくして僕は塾をやめました。僕はそこまで情熱的な塾講師ではなかったからです。

その中島くんがコンビニのレジに並んだことが何度かありました。いつも中島くんはカップラーメンを買いました。相変わらず寡黙で、何を考えているかわからない顔をしていました。僕に気がついているのか、気がついていないのかもわかりませんでした。でも、中島くんは多分、気がついていてもそれを口にしないタイプなんだろうな、という気がしました。僕はいつも顔を伏せて、中島くんの会計をしました。なんだか、たまらない気持ちになりました。僕は中島くんのことも、嫌いでした。

そんなことを思い出しながら、僕はコンビニを探して更に歩き続けました。歩くうちに、僕が昔通っていた大学の近くまで来てしまいました。そこには思い出が大量にありました。やめてくれ、と僕は思いました。元カノのミョンちゃんが当時住んでいたマンションを通過して、よく友人たちと酒を飲みながらサッカーをした公園も通過しました。あのガードレールのそばを歩いていたとき、自殺したTから電話があったな、と思い出しました。死んだせいで思い出が美化されてる気がしました。僕たちは本当はどれくらい親しかったのか、少なくとも、僕は自殺の相談を受けるほどには親しくなかったのは確かでした。

あの頃僕たちは全く夢みたいなことばかりを語り合って、でもそんな時間はあっという間に霧散してしまいました。今から思えば、あんな風に語り合う時間で一つ一つ地道な努力を続けるべきだったのかもしれません。それでも、意外に僕以外の人間はみんなそこそこ年収が高いことに気がつきました。みんなで肩を寄せ合って、僕たちはダメ人間だなぁ、と言ってつるんでいたのに、正真正銘のダメ人間、落伍者になったのは僕たった一人だけでした。もしかしたら、あの頃ダメだと思っていた奴らはみんな凄い人間だったのかもしれません。僕なんか、仕事もしていないし、コンビニに行くことすら出来ないのです。時間は無限に過ぎ、何日歩いたのかわかりません。もしかしたら何年なのかもしれません。歩くうちに僕は歳をとりました。今、どこを歩いているのかもわからなくなりました。前方から、顔のない人間が歩いてきました。コメント欄だろうか? ラップ口調で「それが奥山村人」と罵倒されるんだろうか? 僕は身構えました。でも違いました。

「いくら頑張っても、お前はコンビニにはたどり着けないよ。カフカの『城』のように。何故ならこの世は不条理で出来ているから。どんなに頑張って努力しても、コンビニはどこにあるのかもわからない。君が堅実な努力だと思っていたことも、明日には愚かな徒労に終わる。それが人生だ。黙って受け入れるしかない」

その誰かが、知ったようなことを言いました。僕は猛烈に腹が立ちました。

コンビニにたどり着けなくても、そこを目指して、それでも一歩一歩、前に進んでいくことが大切なんだ。そう思いました。そうじゃないと、人間は自分の人生を肯定することが出来なくなるからです。今、山上さんや中島くんがどこで何をしているのか、わからないし、知りたくもないし、二度と会えないし会いたいとも思わないけど、きっと彼らも生きていて、どこかに向かって歩いているのだろうと思いました。だとすれば僕も、歩かないわけにはいかないと思いました。

というわけで、今回の相談です。

というのが僕のコンビニ8000字小説作成能力の限界なのですが、具体的にどこをどうしたらいいなどのアドバイスや感想を頂けないでしょうか。これでも色々頑張っているのですが、何かどことなくダメな気もします。僕は小説の才能がビックリするほどないんでしょうか? ぜひとも忌憚のない、正直な感想を教えて下さい。

よろしくお願いします。

botton

奥山村人

1987年生まれ。京都在住。口癖は「死にたい」で、よく人から言われる言葉は「いつ死ぬの?」。

@dame_murahito

http://d.hatena.ne.jp/murahito/