カウンセリングに行くのをやめた
・不幸でいればいい。そのままで。あなたが言うように自分の気持ちに違和感があるということも分かるよ。薬は安定させる代わりに本来持っているものさえ感じなくなったりもするから。決めるのはあなただし、あなたの人生だからあなた次第でどうとでもなるよ。
というコメントを読んで、悩んだ末、結局カウンセリングに行くのはやめてしまいました。
カウンセリングに行って、クスリを飲んで、それが圧倒的な救済に繋がるのか。
もっとなんか知らないけど、僕は全面的に人生が肯定されるような救いが欲しいのです。
辛さとか苦しさとか、そういうのをちゃんと感じて、生きていきたい。これはきっと、受難だと思うんですよね。全て神様が与えたもうた試練だという気がするんです。「神は乗り越えられる試練しか与えない」といいますよね。
働いてないことも、金がないのも、両親の目が冷たいのも、元カノのミョンちゃんにまたフラれたのも、かつての友人たちと疎遠になっていくのも、全部身から出た錆……じゃなくて、試練です。
それらのことを、それでも大丈夫だとか、以前のようにクスリで感受性を誤魔化して、どうでもいいって感じるようには、なりたくないんです。
だって、どうでもよくないから。
僕もこの試練に向き合って生きていくべきなんじゃないかと思ったのです。
とはいえ、悩んだり苦しんだりすることにも、最近の僕はもう、疲れてしまいました。
とっとと神様というのに会いたい。いるんだったら。
いよいよ矛盾するようですが……いい加減、解脱、したいんです。悟りを開きたい。
新興宗教に入信するべきなのではないだろうか? という気がしてきました。最近、わりと真剣にネットサーフィンして、どんな宗教に入ろうか色々とリサーチを重ねています。でも全く信じられそうな宗教が見あたらない。自分が教祖になって、新興宗教を開くのはどうか? という気がしてきました。そうなんです。
神様が会いに来ないなら、僕自身が神になればいいんです。
僕が、僕こそが神だったんです。
僕が宗教を開いたら、皆さんは入信してくれますか?
僕が聖書を新たに書き下ろします。酒池肉林です。ウハウハです。
…………生きるのがつらいんです。
だって、そうでしょう?
人生には苦しいことしかありません。何もかもが苦しい。そうじゃないですか? 楽しいことがあってもダメです。明日には虚しくなります。浮かれ騒いでも、漫画を読んだって、何をしたって恥ずかしさと虚しさが襲ってきます。人生は空虚です。悩んだって悩まなくたって、虚無~、が漂うのです。どうせ死んだらゼロになるのです。
そもそも、なんで僕は人間としてこの世に生を受けてしまったのでしょうか? そんなの、全然望んでなかった。
生まれてくる前に死んでしまいたかった。
人生がゲームだとしたら、この世はまるっきりのクソゲーです。ゲームバランスは崩壊してるし、クリアが出来ないんです。
何をしたらクリアになるのか、わからないんです。
「孫が欲しい」
と、お母さんがある日の夕食でぼそっと言いました。僕はだいぶ、胃が痛くなりました。
僕「無職にどうやったら子供が出来るんだよ! 人生舐めてんのか!」
と言うと、どうやらお母さんの友人のお子さんに、実際にずっと無職で家庭を持っている人がいるのだとか。夫も奥さんも無職。しかも子供は4人。一体どういうことなんでしょうか? やりたいことやったもん勝ち、と忍たま乱太郎も歌っていました。世の中、なんでもありなのかもしれません。
母親「あなたもね、子供が出来たら人生変わるかもしれないわよ。私は、変わったから」
変わった挙げ句がこのクオリティの息子(僕)かと思うと、なんだかいたたまれない気持ちになりましたが、僕は黙りました。何も言える気がしませんでした。よく聞きますよね。子供が出来たら人生観が変わるとか、そういう話。実際どうなんでしょうか?
・寝られなかったらそれまでなのでとりあえず目をつぶって妄想をするんです。小説家になって芥川賞とってたくさんのヒット作を飛ばしてる自分でも美女と結婚してる自分でも。
そこで僕も妄想してみることにしました。