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バービー化したい女性たち。無性、無我、成熟の拒絶、「正しく健康な女性」から逃れること

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(C)柴田英里

(C)柴田英里

 前回は、「誇大なナルシズムの投影装置としての人形」と「共感と親和性の投影装置としての人形」の差異、後者の台頭に見る欲望への嫌悪と禁欲の精神が前傾化していく予感について述べました。

 今回は、その社会傾向ゆえにいっそう際立つ、「バービーになりたい」欲望を実現した女性たちについて、ヴァレリア・ルカノワ、ブロンディ・ベネット、アンジェリカ・ケノバの三人の例をあげながら考えていきたいと思います。

無性でありたい女性

 まずは、近年ネットで話題のリアル・バービーの代名詞である、ウクライナのヴァレリア・ルカノワから紹介します。

ヴァレリア・ルカノワ

youtubeより

 ずいぶんオーバーラインなアイメイクに細すぎるウエストと、重力を無視しはちきれそうな丸い胸、過去写真から自然に成長しているとは思いがたい顔と身体ながら、「胸を1回整形しただけで、他は整形していません」と表明しているヴァレリア・ルカノワ。70年代お色気SF映画のヒロインのような極めてタイト(全身タイツ的)な衣装を好む彼女は、インタビューなどで「自分は“愛と喜びだけが存在する”他の惑星(金星)から来た宇宙人である」「自分の身体から出て他の惑星や世界をトラベルできる」「誰もが無性で“子供”というものが存在しない別の宇宙から来た」などのスピリチュアル発言をかましており、スピリチュアル・セミナーなども主催しているそうです。

 彼女の家族観は、「この世で最悪のことは、家族のライフスタイルを持つこと。私なら、拷問されて死んだ方がマシだわ」「母親になりたいという願望も、母親としての本能も持ちたいとは思いません」というもので、現在男性と結婚していますが、オープン・リレーションシップ(自分たち以外の誰とでも関係を持って良いという関係)をとっているそうです。

 食欲や性欲などの欲望については、「私はけだもののような衝動を持っていません。色々な人たちは、食べることや性行為が楽しみだったりするわね。私が一言言えるのは、人々が愛と呼ぶ行為が、少なければ少ないほど良いということです」とのこと。

 ヘテロモノガミーで子孫を残す「家族」のライフスタイルを持つくらいなら「拷問されて死んだ方がマシ」という発言や、食欲や性欲を「少なければ少ないほど良い、けだもののような衝動」と定義することからは、ヘテロモノガミーの結婚によって子孫を遺していくこと、とりわけ、生殖としてのセックスへの嫌悪が現れているように思います。

 ヴァレリアにとって、美しく女性的な体つきながら生殖器がない(無性である)バービー人形とは、「二元論的女性性・母性ではないもの」の象徴であり、彼女がバービーになることは、二元論的“人間”“女性”の規範から逸脱するための行為なのではないでしょうか。

 美しい花は受粉し種(子孫)を残し枯れますが、造花は枯れません。同様に、無性で無機物である人形には老いや死がありません。「無性」である人形への憧れと「生殖」への嫌悪は、「老い」への恐怖と「不老不死」「永遠(有限でないもの)」への崇敬でもあるかもしれません。

 言うまでもなく人間は老いて死にます。美容整形によって、シミやシワ、たるみといった老いの象徴をかぎりなく排除することはできても、限界はあります。70代80代になっても20代に見える見た目を維持することは難しいでしょう。この世に老いと死ほど平等に与えられるものはないのです。

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柴田英里

現代美術作家、文筆家。彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性と、彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに活動しています。Book Newsサイトにて『ケンタッキー・フランケンシュタイン博士の戦闘美少女研究室』を不定期で連載中。好きな肉は牛と馬、好きなエナジードリンクはオロナミンCとレッドブルです。現在、様々なマイノリティーの為のアートイベント「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」の映像・記録誌をつくるためにCAMPFIREにてクラウドファンディングを実施中。

@erishibata

「マイノリティー・アートポリティクス・アカデミー(MAPA)」