
Photo by Matti Mattila from Flickr
「お母さん、カウンセリング行きなよ。私、探すから」
年明けだったろうか、遠方に住む母と電話で3時間話した末に私がした提案。根本的解決にはつながらないだろうけど、母には遠慮なく吐き出せる“場”が必要だ。そう思った。
モラハラ夫である父が支配する家庭
私はモラハラ家庭に育った。家庭内モラハラのベクトルは、いろいろある。夫から妻へ、妻から夫へ、親から子へ。我が家は夫から妻へ、つまり父から母へだ。
きわめて男尊女卑思考が強い父は、母を家政婦かつ子育て係かつ介護要員と認識しているようだった。専業主婦である母が家のことを担当するのは自然だとしても、その働きに対する父からの“感謝”や“敬意”が決定的に欠けていた。母を顎で使い、口ごたえを許さず、ときに罵倒し手を上げた。
父は家庭に君臨する絶対専制君主であり、父の機嫌が家庭を支配した。子である私も激情型の父の顔色をうかがいながら過ごしたものだ。
モラハラの世代間連鎖におびえ、鎖をぶった切ると決めた
そんな家庭に育った私は、「大きくなったらお父さんのお嫁さんになるの!」という幸せな家庭の象徴みたいなセリフを一度も口にしたことがない。思ったこともない。むしろ、「父親とは違うタイプの人と結婚しよう」と固く心に決めていた。
有名な話なのでご存知の方も多いだろう。モラハラの世代間連鎖――モラハラ夫婦の両親を見て育った娘は、同じようにモラハラ男性を配偶者に選んでしまう可能性が高いという学説がある。世代間連鎖をはじめて知った時は震えた。何を隠そう、母の両親、つまり私の祖父母もモラハラ夫婦だったのだ。古い時代は家父長制の名残りがあり、どこの家庭もある程度父親が威張っていたものだというが、聞く限りでは祖父の行為はその範囲を逸脱していた。母はモラハラの世代間連鎖をまさに体現してしまっている。
じゃあ、娘の私はどうなるの?
私は結婚しないほうがいいのかもしれない、父と同じタイプはいやだと言いながら同じような人を選んでしまうのかもしれない。頭が真っ白になった。でも、私は世代間連鎖をぶった切ると決めた。そんな学説、私が反証してみせるとばかりに、徹底的に慎重に男性を見る目を養おうとした。自信満々に自分の価値観ばかりを一方的に話さないか、過剰な束縛をしないか、やたらと人を見下さないかなど、10ほどのチェック項目を設けて、モラハラ男性を避けるよう自分の中のセンサーみたいなものを鍛えた。
結果、私が配偶者に選んだ男性は父とは全く違うタイプの男性だ。専業主婦だった頃の私が体調を崩せば「洗濯物がたまっても家が散らかっても人は死なないから、とにかく休んで」と言う(それ普通じゃない? とお思いかもしれないが、私の実家じゃ考えられなかった)。夫は「誰かが家の中でビクビク緊張して、言いたいことを我慢しなきゃいけない家庭は絶対にいやだ。みんながホッとできる空間を作りたい」という私の切実な願いに共感を示してくれて、結婚式のときに作った自己紹介シートの「相手に約束してほしいこと」の欄には、「何事も我慢しないこと」と書いてくれた。一生分の幸せを使い果たしたんじゃないかと思って涙が止まらなかった。
母は、優しい男性が娘の伴侶となったことを心底喜んでくれて、暮らしの中のちょっとしたエピソードなんかを話すと「ほんとにお父さんとは違うねえ」なんて笑っている。娘としてはちょっと切ない笑いだ。