
(C)柴田英里
久しぶりに江戸川乱歩の小説を読みました。日本の探偵小説界に大きな足跡を残しただけでなく、『芋虫』『淫獣』『人間椅子』『パノラマ島綺譚』『押絵と旅する男』、乱歩の作品には多形倒錯した人物が数多く登場します。男性同性愛や少女愛、異性装、サディズム・マゾヒズム、人形愛、残虐趣味などの嗜好が全面に押し出された通俗探偵小説を数多く執筆した江戸川乱歩ですが、彼の描く特殊な性的指向/嗜好を持った、時に「変態」とも言われるマイノリティの表象は、『アナと雪の女王』や『ベイマックス』、『ズートピア』といった近年のディズニーが描くポリティカル・コレクトネスに準ずるイデオロギー的正しさとエンターテインメントとの両立を目指した作品が描くマイノリティ表象とはかけ離れたものです。
イデオロギー的正しさとともに、優れた造形や描写がされている作品や、エンターテインメントとの両立を目指した作品が評価されることは好ましいことではありますが、当然ながら、イデオロギー的正しさがあらゆる作品のコンセプトの中で最も重要と言うわけではありません。
こうした見解に対して、「それでは差別表現を擁護することになり得る」「差別的な表現が許されてはいけない」といった懸念や批判も想定できますが、「政治的に正しい=優れた作品」という観点によってのみ作品を評価することは、“正しさ”が普遍的でも“絶対的”でもないと、様々なマイノリティ差別の歴史が証明していることからみてもとても危ういですし、芸術と政治の混同を招くことや、芸術作品のプロパガンダ利用への懸念を孕みます。
作品において、「イデオロギー的正しさ」は、あくまでその作品の構成要素のひとつであり、ポリティカル・コレクトネスに準ずるイデオロギー的正しさは、他の様々なコンセプトと同様に、「軽んじられるべきではない作品の構成要素」なのです。
江戸川乱歩的な「変態」とも言われるマイノリティの表象は、“健全さ”“一般常識”とはほど遠いうえ、近年のポリティカル・コレクトネスの観点からは「マイノリティへの偏見を増長する」とすら目されかねませんが、私は、乱歩の描く「変態」は、イデオロギー的正しさとともに、優れた造形や描写がされている作品や、エンターテインメントとの両立を目指した作品と同様に素晴らしく、同様にマイノリティを鼓舞するものであると考えています。
ポリティカル・コレクトネスに準ずるイデオロギー的正しさとエンターテインメントとの両立を目指した作品は、「マイノリティはマジョリティ同様に変ではない(差別されてはいけない)」というメッセージが強いものが多く、江戸川乱歩の描く「変態」としての性的指向/嗜好を持った人物が活躍する作品は、「変(マイノリティ)で何が悪い?」というメッセージが強いものが多いゆえに、双方の主張はしばしば対立するように見えます。マイノリティの社会包摂(マイノリティをマジョリティの社会に適応させる観点)が中心か否か、「変=クィア」の見解の違いです。
江戸川乱歩の作品は、今なお多くの作家にリメイクされています。最近では乱歩の様々な作品を原案としたオリジナルテレビアニメ『乱歩奇譚 Game of Laplace』や、黒岩涙香の『幽霊塔』とそれをリメイクした乱歩の『幽霊塔』を大胆ミックスし生まれ変わらせたマンガ『幽麗塔』(乃木坂太郎/小学館)、原作の世界観の再現が素晴らしい丸尾末広の『パノラマ奇譚』や『芋虫』などがあります。
『乱歩奇譚 Game of Laplace』では、原作通りでありながら様々な者からまなざされる客体としての要素がより強調された男の娘小林少年や、原作レイプも甚だしい(笑)けれど「変態感」はある黒蜥蜴や影男が描かれ、『幽麗塔』では、警察官で少年しか愛せない男性同性愛者の山科、四肢を失った直後でも恐ろしく強い怪人「死番虫」に、多形倒錯的少女趣味の検事で資産家の丸部道九郎など、乱歩原作の「変態」表象に引けをとらない様々な「変態」キャラクターたちが次々と生まれています。
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